私にとって、その日の寝起きは最悪のものだったと言っていいだろう。
目覚ましもなっていないのに起きてしまう。
時間を確認すると、目覚ましをセットした時間の五分前、とかはよくある話で。ようは早起きが習慣になっているのだろう。そんな日頃の習慣の性か、物音一つ聞こえないにも拘らず、私は目覚めた。
いつも枕元に置いてある時計を確認しようと、寝惚け眼で手を伸ばす。いや、伸ばそうとした。
しかし、腕が頭の下敷になっていて手を伸ばすことができない。
「う……ん……」
体を起こそうとして、うめく。気だるさが残っているのはいつものこととして
(私は朝は低血圧気味なんです。)、まず首が痛い。寝違えたのかは分からない
が……それを我慢し、首を起こす。
次に、案の定、頭の下敷となっていた腕を伸ばそうとする。が、今まで固い机と、頭とにサンドイッチにされていた腕は、痺れた感覚を伝えてきた。
(……机?)
そう、机だ。半分ほども覚醒していない頭で考える。どうやら私は、机に突っ
伏すかたちで寝ていたようだ。背を起こそうとすると、再び痺れに似た痛みが走る。不自然な体勢で寝ていたせいだろう。私の体は起き上がることを拒否した。
そもそも、今は何時?時計の時刻を確認しようと枕元の時計に目を向ける……
が、当然、机の上だ。いつも見ている時計がそこにあるわけはなかった。
痺れを我慢し、体を起こすと室内を見回す。いつもなら机の前の壁に水色の壁
掛け時計があるはずだった。
(……ない?)
なにか違和感がある。そもそも私の部屋は、机の前には壁があるだけだ。ベッドは後ろにあったはずだ。
私の頭が急速に起動しはじめる。そもそもここはどこ?私は何で机でなんて寝てたの?
考えがまとまる。さして時間は掛らなかったが……一拍の間を置き、視線をもう一度、180度巡らす。
「ふ、ふにゃぁあっ!?」
時代遅れな奇声をあげて、私は飛び起きる。寝ている間、正座状態になっていた足も悲鳴をあげるが気にしない。いや、出来ない。
(こ、ここは隆君の部屋っ!?)
それこそパニックに陥る。なんで?なんで!?と同じ疑問のフレーズが反芻する。
(ちょっとまって……思い出して……)
落ち着いて考えられるようになるまで少し間を置く必要はあった。
(えっとまずは……そ、そうそう、時間を確認して)
と言っても、落ち着いたところで、出した答えは的外れではあったが。
隆君の部屋と分かれば、時計を見付けることも簡単だった。長い付き合いだし、この部屋に上がったのも、もう何回目か。
それに大きな部屋じゃない。あるものも限られてる。
目的の時計は、以前来たときと同じ場所―――
隆君の部屋には不釣り合いなタ スの上、そこにあるオーディオの更に上に置いてあった。
男性の部屋に置くには似合っていない。そんなデザイン。可愛らしいペンギンをかたどった、アナログの時計だ。(隆君の部屋は少し散らかっているから、そんな感はないけど。)
あれは……もう何年前になるんだろう……
私は少しだけ、古い記憶を探った。忘れもしない、私たちだけの思い出の一部
を。
この時計は以前、私が隆君にあげた物だった。当時、隆君は自由奔放というかなんというか、時間を気にしない少年だった。既に絵の才能があったのか、それとも絵の才能は身に付けたのか、この頃から暇があれば絵を書き、それに夢中になっていた。
私はというと、今以上に引っ込み自案で、通っていた学校のクラスでも孤立していたように思う。仲良く話せる相手が、昔から遊んでいた隆君だけだった。
当然、私は自然と隆君としか遊ばなかった。隆君と遊ぶ約束をよくしたし、隆君は絵に集中したりすると、その約束の時間に遅れたり悪いときは―――
すっぽかされたり。
気の弱かった私は怒ることもできず、ただ泣いた。そんな私だったから、隆君
に直接言うこともできず、少しでも隆君に時間を―――
いや違う。私のことを 気にしてほしくて、この時計を送ったのだ。思えばあの頃にはもう、隆君のことが好きだったんだろうと思う。
(隆君……)
思い出の時計。私は手を伸ばし、オーディオの上から降ろした。
その時計のチャーミングな姿は、当時、テレビでやっていたアニメの主人公だったように思う。
よく家のリビングでテレビにかぶり付くように見た記憶が残っている。
そんなペンギン時計の、お腹の上に抱えられた文字板は――― 六時。
……って、六時っ!?
可愛い外見に似合わず、そのペンギン君は正確無慈悲だった。
六時といえば、普段なら既に朝食を準備し始めている時間だ。私の家は、学校から一時間弱の距離にあるため、始業時間に間に合うためには七時半には家を出なければいけない。
お弁当も自分で作ってるから、普段の起床時間は早く、六時だ。
でも……一回家に帰ると……時間はぎりぎりかな……
隆君の家と私の家は、幼馴染みと言いつつも、距離にして徒歩三十分かかる。
住宅街の中央に固まる、小学校に中学校。そしてバス停。
私たちの家はそれらを挟んで、ほぼ正反対にある。
家に帰って七時。ご飯を食べる時間はあるかも知れないけど、弁当を作ったり、あわよくばシャワーを浴びたりなんかする時間はない。
ふと傍らを見ると、私の鞄が置かれている。当然、中には勉強道具が入っている。お財布も、鍵も。
お財布には、ある程度の金額は入っていたはずだし、今日の時間割りは、昨日と大差がなかったはずだ。
つまり、このまま学校へ行くこともできる、と言うことだ。
最悪、朝御飯、昼御飯。共に学校で買うこともできる。
さて、どうしようか……
私は、とりあえず家に連絡することにした。この時間ならお母さんも起きているだろうから。
携帯電話を取り出し、アドレスから自宅と入力されている番号を探し、呼び出す。思ったとおり、数回のコール音の後、お母さんが出た。
私の予想とは裏腹に、お母さんは体して心配していなかった。どうやら話によれば、隆君が私を泊める旨を、昨日の夜の内に連絡していたらしい。その姿を想
像し、私は少し隆君に同情する。お母さんのことだ、さんざんに隆君をからかったことだろう。
お母さん、そういうところは子供っぽいからなぁ……
私は鞄を持ち上げると、扉を開け、階段を降りる。
二階より少しだけ空気が篭っている気がするのは気のせいか。リビングへと続く扉を開け、音を立てないよう中に入る。
ふと視線を巡らすと、リビングの中央付近、テレビ前の大きめのソファに隆君の姿があった。しかし、お世辞にも寝相は良いとは言えず、片足片手と、毛布が床に落ちていた。私は足音を立てないよう近くまでより落ちた毛布を拾いあげると、そっと隆君に掛け直した。隆君の寝顔がふと目に入った。
かわいい……誰しも寝顔は天使のようだと言うけど、ほんと、そのとおりだ。
くすっと声を立てないように笑った。
隆君の穏やかな寝顔……あわよくば優しい夢を。もしそれが、私も良く見るような普段の生活の夢なら……私のと同じように、隆君の夢にも私がいれば良いな
ぁ……
なんて、柄にもないようなことを思ってみたりした。でもほんと、それならとっても嬉しいな。
というか、私はもう起きてるけど、隆君はどうするんだろう……朝御飯を食べるのなら、時間的にもそろそろ起きないと行けないんだけど……
そんなことを思い、キッチンに向かってみる。昨日の後片付けも隆君に任せてしまったし……。
しかし、そんな心配の必要は全く無かった。昨日の晩御飯の片付けは、本人が言った通り、隆君が全てやってくれたらしい。キッチンからガスコンロまで、文字通り隅々まできれいになっている。
隆君は男子とは思えないほど、細かい。特別に綺麗好きと言うわけではないが、やろうと決めたらとことんやるし、なおかつ手際が良いため、大した時間を掛けずにある程度のことをこなすのだ。 なんか、こういう万能的なところは凄くうらやましいと思う。
私は冷蔵庫を開けると中を覗き込んだ。予想以上に材料を多く買ったためか残り物が保存されていると思ったからだ。それは予想通り、冷蔵庫の中にあった。ご飯がかなりの量、残っている。
隆君が何時に起きてくるのか分からないけど……たぶん朝御飯を作る時間はないんじゃないかな……
やることは決まった。でも隆君と一緒に登校するのは、昨日のこともあってちょっと恥ずかしいし、早めにやってしまおう。
私はキッチンの蛍光灯のスイッチを軽く押した。
目覚まし時計の音。昔から聞きなれた、アナログな鈴の音。
静かな室内に響くその音を、俺は良く知っていた。昔から使っている目覚まし時計。
手を伸ばすが届かない。いつもあるその場所に時計はないようだ。仕方なく、上半身を起こそうとして……左手が滑った。
それをきっかけに体ごと床に滑り落ちてしまう。……って言うか、床ぁ〜?
俺の部屋は確かカーペットだったはずだ。いつの間に変わったんだ……?
寝惚けた頭が徐々に覚醒していく。はやく今も鳴りっぱなしの時計を止めないと……
起き上がり、フローリングの床を素足で叩く。机の上に置かれていた時計を見付けると、上のボタンを押し、音を静める。
ここは……リビングか。
少しの距離でも足を動かしたお陰か、寝惚けた感は無くなっていた。
そういえば……昨日は唯を泊めたんだっけ……自分のことながら、なかなか大胆なことをしたんじゃないか……?
時計の時間を確認すると、既に家をでなければならないぎりぎりの時間だった。
ありがたいことに、目覚ましの横には、置き手紙があった。小さな、可愛らしいメモ用紙だ。
それには、先に学校に行く旨と、感謝の言葉。それと―――
(唯……また俺が借りを一つ、作っちゃったじゃないか……ホントに感謝しなくちゃいけないのは俺なのに……)
自然と笑みがこぼれてきた。まったく……我ながら迷惑の掛けっぱなしである
。
(面倒見が良いというか、なんというか。)
メモを片手に階段をのぼる。部屋には鞄があるから。これからの朝御飯を考え、軽い足を小走りに動かす。
メモにはこう書かれていたのだ。
隆君へ〜
昨日は隆君の部屋で寝てしまって……本当にごめんなさい。なにも言わずに泊めてくれて……お母さんにも連絡してくれたみたいで。
ありがとう。って、こんなことを言うと隆君は怒るかな……。隆君の寝顔がとても優しくて。起こすのも嫌だったから、先に行きます。
でも、隆君に遅刻はして欲しくないから、目覚まし時計を掛けました。この時計、まだ使っていてくれたんだ……ほんと、嬉しいよ。
あっ、感謝の気持ちも込めて、昨日の残りご飯で、おにぎりを握りました。朝御飯がわりにでも食べてね。
あと……学校ではこの手紙には触れないでください。……恥ずかしいから。
じゃあ。学校でね。
〜唯
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