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約 束
第二話〜隆成の一日・午前編
〜 time of mild in the moning. a story of second〜



 唯の告白から一夜明けて、俺の心は揺らいでいた。
 昨日のそれで、実際に唯との関係が変わったかというと、そういう訳でもない 。昨日だって少し気まずかったのは最初だけ。いつも通り、美術準備室の戸締ま りをし、二人揃って学校を出た頃には、普段の雰囲気を取り戻していたし、ちゃ んと会話することもできた。というか、電車に揺られ三十分。唯との雰囲気は、 普段よりよかったと言える。これがいわゆる、友達以上恋人未満という関係なの だろうか。とても居心地がよかった。
 朝六時半。けたたましい目覚ましの音に、意識が覚醒するのを感じる。もう一 度眠りたい衝動に刈られるも、そこは意思の強さ。てか、ここで起きないと学校 に遅刻してしまうし、朝から教師の説教なんざ聞いた日には、一日がネガティブ になってしまう。
 「ふぁぁ……ぁ」
 あくびが出るのは御愛敬。そのくらいは我慢する必要はないはずだ。
 体を叩き起こすと後の行動は早く、 もう半年着てきた制服に袖を通すまでは僅かだった。
 かるく髪の毛をなでつけながらリビングへ向かった。そこは俺の部屋と比べると明らかに空気が違っていた。何とも清々しい。両手を上に挙げ、ぐっと伸びをすると、今まで固まっていた体が活動の開始を告げる。
 リビングにはこの家のもう一人の住人、霧島美苗――― 母さんが早くも朝食を取っていた。ついでに既にテーブルの上には俺の分の朝食も用意されていて、少し芳ばしいげな臭いが漂っている。
 「おはよう、母さん」
早くもテーブルに着き、トーストをかじっていた母さんは、出勤前ということもあり、スーツを着ていた。
 「おはよう、隆成」
 そこまで出勤時間が早いわけでもない筈なのだが、車のない生活をおくっているため、通勤電車に一本でも乗り遅れるとヤバいのだそうだ。よって、霧島家の朝食は、前日に買ってきた総菜と食パンに固定されている。
 俺はキッチンに向かい、ポットを覗く。大丈夫、お湯は残ってるな。
 「今日も学校から帰ってくるの遅い?」
 トーストを頬張りながら聞いてくる。
 「うん、今日は部活あるし……今描いてる絵も、早く完成させたいから、最後まで残ってくると思う。」
 食器棚から自分のマグカップを取り出す。冷蔵庫からインスタントコーヒーの瓶を取り出し、スプーン二杯分ほどマグカップの中に固形コーヒーを入れる。ポットからお湯を注ぐと、コーヒー独特の苦そうな臭いが周囲に広がった。
 「ふーん……早く完成させたいって、何かあったの?」
 ドクンッと勢いよく心臓が跳ねた。危うくマグカップを落としそうになる。俺はそんな動揺を隠しつつ、何でもない風に答える。
 「別に……何も特別なことはないけど?」
 「そう?」
 「うん。」
 母さんは特に興味を失った様子で、食卓の上の自分のマグカップに入っていた牛乳を飲み干す。俺はそんな母さんの向かい側の椅子を引いて腰を下ろすと、食パンを手に取り、トースターに突っ込んだ。
 「今日と明日の朝、適当に食事、買って食べて。今日は仕事が結構つらくて。会社の方で一晩明かして、たぶん帰りは明日の夕方になると思う。」
 「いい年して、朝帰りじゃ飽きたらず、ついには夕方?」
 からかうように言ってみる。
 「いい年して……の下りは余計よ。あたしまだ今年で三十六。」
 確かに、俺と同い年のやつらの母親平均よりは段突に若い。容姿も叔母さんという感じではない。若作りもせず、まともがこれだから、凄いという他はない。こう見えて、仕事は良く出来るらしく、金に困っているという話は聞いたこともない。まさにびっくりママさんだな。我が母親ながら。
「て言うか、あんたこそ。」
 「へ?」
 思わず間の抜けた声を挙げてしまった。母さんはというと悪戯を思い付いた子供みたいに、ニヤニや笑いを浮かべている。
 「例えば唯ちゃん。」
 ドクンッ……
 「な、なに?」
 唯の名前が出された瞬間、今までになく、一気に心臓が跳ねた。落ち着け、落ち着け。自然とコーヒーに手が伸びた。口をつけ、一気に飲み干そうとする。
 「あたしが家にいないからって連れこんじゃ駄目よ?」
 いきなりの不意打ち。飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになり、必死に押さえる。なのに。なのに母さんはっ!!
 「それに合意があったとしてもキスまでに留めときなさいね?」
見事に吹き出した。んで、むせた。く、苦しい。
「くっ、このエロ親父、みたいなこと、言いやがって、」
 旨く言葉が続かない。息が絶えだえになった。むせたことに、恥ずかしさも合いまって、鏡を見たらさぞや俺の顔は赤いに違いない。
「やだ、冗談よ。あんたにそこまでの度胸があるとは思ってないから。だってあんたは私似だから。」
 とか言って腹を抱えて笑っている。俺はテーブルから立ち上がると、テレビの上においてあるティッシュペーパーを十枚ほど抜き取ると、テーブルの上に溢れたコーヒーを拭き取った。とりあえず息は落ち着いたが、心臓は今だ激しく脈打っているのを感じる。
 「隆成ってば、以外とまだ純なのね〜」
 「純とかじゃなくて、母さんはふざけすぎなんだよ!!」
 「あら、最初のネタ振りは隆成からだったでしょ?」
 「それにしたってっ!!つーか、なんであそこで唯の名前が出てくるんだよ?」
 「だって、学校の娘でこの辺り住んでるの唯ちゃんだけでしょ?それに隆成、ほかに仲の良い女の子もいないでしょ?甲斐性ないし。」
 ――― あーそーですか。どうせ俺は甲斐性なしですよ。
 母さんはそんな俺を見て苦笑する。
 「ま、そういう訳だから。とりあえず一万円。これでやりくりして」
 テーブルの脇におかれた仕事に持っていく大きな鞄から、母さんは財布を取り出し、そこから一万円札を抜き取って俺に渡した。
 「一日で一万円……なんか豪勢だな」
 ふと、口を滑らせれば。
 「じゃ、いらない?」
 「ありがたく頂戴します。」
 ……ほんと、人をからかうことの好きな母親だよ。
 そんなこんなで騒がしい朝食。母さんはちゃちゃっと食べ終わると、いつも通り鏡で身だしなみを整えた後、鞄を肩に引っ下げた。
 「じゃ、後の戸締まりよろしく。」
 「分かってるさ、もうそこまで心配されるほどのガキじゃないよ。」
 「あはは……。行ってきます。」
 母さんは最後までからかい笑いを残して、玄関を開け仕事へと出かけていった。
 「さて……っと」
 俺だってぐずぐずはしていられない。学校まで三駅分あるため電車通学を余儀なくされている俺は、やはり一本でも乗り遅れると遅刻になる。駅まではバスに乗り二十分、駅から電車で十五分、向こうについてから徒歩十分。なかなか学校まで簡単には行けないのだ。
 俺は壁にかかった時計に眼を移した。……そう考えると、後三十分以内に家を出た方が良さそうだ。


 俺がバス停に着くまで、さして時間はかからなかった。遅刻しそうな程ぎりぎりの時間に家を出たわけでもない。しかし、俺の心臓は緊張に高鳴っていた。バス停に見慣れた顔があったからだ。
 唯だ。
 別に普通に接すればいいと頭では分かっている筈なのに、昨日の今日ではやはり、緊張はある。それに加えて、朝の母さんの言葉は刺激が強すぎた。気にするなって方が無理だ。
 「おっ、おはよ。」
 バス停に後から来たカタチになる俺は、動揺を隠しながら、彼女に挨拶をした。いきなりの声に驚いたのか、はっ、と俺の方を振り向き、少しぎこちない笑顔
で応じてくれた。
 「お、おはよう、隆君。」
 なんというか……会話が続かない。唯も、そして俺も。正面の道路に視線を迷わせた。気まずい沈黙が降りる。タイミングも悪く、他にバスを待つ客はいない。通勤時間にしては遅く、通学時間にしては早い。それに、人通りも少ない朝の住宅街の一角だからだ。
 ……やばい、何か話題を見付けないと……
 決してこの状況は初めての経験ではなかったが、今回は昨日の件も合間って、唯にいつものように話しかけられないでいた。
 息を深く吸って……吐いて……と深呼吸し、腹を決める。
 「なあ……」
 「ねぇ……」
 ……お約束のように、同時に言葉を発し、同時に押し黙る。
 「さ、先にどうぞ?」
 「隆君こそ……」
 「……」
 「……」
 再びの沈黙がその場を支配した。なんとも雰囲気が悪い。……いや、雰囲気が悪いというよりは気まずいのだ。
 「え……とな……、とりあえず……昨日は、驚いた……」
 何か話そうと開いた口から漏れたのはやはり昨日のこと。俺は途端に後悔した。特に意識して言った訳じゃない……はずだ。確かに昨日のことがあったから『唯を意識』してしまう。だが、それにしたって違う話題を広げるべきだったはずだ。
 そんなことを思った矢先、目に見えて唯の顔が赤くなっていった。
 「え……、うん……」
 唯は少し顔を伏せた。俺の位置からは唯の顔は見えなくなったが、どんな表情をしているのか推測できてしまう。ただでさえ、小さい頃から付き合いはあったのだ。状況は違えど、似たようなことは何度かあったしな。
 「……でも、昨日言ったこと……嘘じゃないよ?……いつからかなんて分からない。でも……気付いた時には……」
 「あ、ああ。……長い付き合いだ。お前が嘘を付いてないことぐらい分かってるさ。分かったからこそ、いい加減な返事はしたくなかったんだ」
 頬を右手の人指し指で掻く。唯は顔を上げて、微笑んだ。
 「解ってるよ……。私は、隆君が答えを見付けて、伝えられるようになるまで、ずっと待ってるよ」
 唯の瞳に吸い込まれていくような感覚に陥る。彼女の澄んだ瞳は、今は俺だけに向けられていた。
 「隆君が、例えどんな答えを出そうとも、私たちの関係は崩れないよね?」
 「ああ。唯は唯、俺は俺。周りは周り、俺等は俺等だ。周りの環境が変わっても、俺等の関係は変わらないさ。」
 このときの俺は含み無く、微笑むことができた。唯に、笑い掛けることができたんだ……。


 しばらくするとバスが来た。時刻表より数分遅れだが、このあたりのルートを通るバスとしては当たり前。元々、この辺りに住む住人のほとんどが通勤、通学に自家用車を使っているため、バスの使用頻度は低く、そのためかここらのルートを回るバスは比較的ルーズなのだ。
 そくさくとバスに乗り込み、唯とたわいもない会話を交し、バスに揺られ数分。時間が過ぎるのは早いもので、自分の中ではあっという間に駅に着く。制服の胸ポケットに入れている携帯を取り出し時間を確認するとそんなこともなく、ディスプレイに表示されている時計で、家を出てから既に三十分が経とうとしていた。
 通い馴れた学校への道筋。なのに、唯と喋ってるだけで何処か新鮮なものに感じられる。ただ、会話しながらの登校は珍しいことじゃなく、今までも何度かあったが……まぁ、状況が状況だ。
 バスを降り、電車の切符を買う。券売機は通勤通学の人々の往来で混み合っていたが、プラットホームもさることながら、乗り込んだ電車の中は、それこそ寿司詰で身動き一つ取ることも難しい状態だった。そんな混み具合いの中、乗り込んですぐそこに知った顔があったのはある意味、奇跡だろう。
 「よ、霧島。」
 「ん?」
 狭い電車に乗り込むと、そこで声を掛けてきたのは茶髪でネクタイ無し、ブレザーの前ボタンを止めず、なんというかだらしのない格好、悪く言えば不良スタイルの男。しかし、俺にとっては馴染みのある顔だった。
 「なんだ、ケータか」
 ケータこと榎並敬太は、母親どうしの関係があり、そのため自然に……というか、やはり昔からの友人で、小中と学校が一緒になることは無かったが、高校は一緒になった。住む場所が同じ市内のため、やはり彼も電車での登校となるわけ
だ。
 「あれ?敬太君?」
 俺の後ろ――― 後から乗り込んできた唯がケータに気付き、声を上げる。俺経由で唯とケータにも付き合いがあった。
 「よぉ、唯ちゃん。今日は霧島と一緒に登校?」
 「うん。偶然、バス停で隆君に会ったから。」
 唯がにっこりと微笑む。なんというか、無邪気なものだ。ケータは顔を唯に向けたまま、目だけ動かして―――
 「へぇ、偶然、ねぇ……」
 ……なぜ俺を見る?
 そんな風に小声で聞くと敬太は意地悪そうにニヤリと表情を歪め、
 「まさかお前がストーキングしてたんじゃないかと」
 「いや、してないから。」
 「わかんねぇぞ、お前のことだから」
 「俺のことは俺が一番良く知ってるって」
 朝一の会話がコレだ。普段からこんな感じだからケータは軽い奴と見られがちだが、それはあくまで偏見でしかなく、俺や唯など長い付き合いの者は、彼がとても友達思いで芯の強い奴であるということを知っている。
 ケータはその性格からか、話始めると止まらない。しかし、周りに人が何人いても、全員が聞いていて楽しい、つまり共通の話題を見付けて話す。なんというか、すごく聡い。一種のカリスマのようなもので、常にクラスの中心にいるのだ。
 俺と唯の何処かぎこちなかったのを察してくれたのか、電車の中でケータの口が止まることはなく、時に笑いを誘う話は、完全に唯と俺の間にあった雰囲気を壊してくれた。
 「……でさ、俺がこいつに言ってやったんだよ、『霧島ぁ、人間は顔じゃないっていうじゃんか』ってな」
 「それ、全然使いどころが違うよ〜」
 唯が楽しそうに笑う。
 「おまえ昔は良く、難しい日本語を変なとこで使ってたよな」
 共通の話題として出てきたのは俺のことで、それでいて唯の知らないことが暴露されまくった……というほどの時間もなかったが。
 「変なとこじゃないさ。つまり俺が霧島に言いたかったのは、人間は一部で決めつけられるような存在じゃないってことだ」
 あんなガキの頃のケータが俺にそんなこと考えて言う訳がない。これは事実に自分の正当性を持たせるための、今考えた言い訳だろう。話の中で常に正しい男、榎並敬太の本領発揮だ。
 そんなことを話している内に、目的の駅に電車が到着した。人波を掻き分けてホームに降りた。
 「っと、今日はここまでだな。別のダチと待ち合わせの約束してんだ。先に行っていいぜ」
 「そっか〜、また学校でね」
 唯がにこやかに右手を振る。
 分かれる前に、ケータが唯に聞こえないように耳打ちしてくる。
 「学校でも夫婦漫才はかんべんな」
 ケータが茶化す。夫婦!?
 「怒るな怒るな。電車の中、あんだけ雰囲気を和らげてやったんだ。後は学校まで霧島がリードすべきだろ?」
 それだけ言うと、ケータは俺と唯から少し離れ、人波の向こうへと消えていった。……ほんと聡い。案外、俺と唯の間に何かあったことをほぼ完全に推測してるんじゃ……?
 つーか、もしそうなら友達との約束とやらも作り話かも……。余計な気を使いやがったか?
 ……考えていても仕方ない。とりあえず俺は唯の左手を、彼女の鞄ごと掴み、人波に呑まれぬように引っ張った。
 「唯、いくぞ?はぐれんなよ」
 「うん!!」
 最高の笑顔で。左手に右手を沿えて、力強く握り返してきた。


 ところ変わって学校。ほんと、ただ退屈な時間の積み重ねだ。勉強の出来ない俺に言えたことじゃないが、高校の教師にもなると、ただ淡々と授業を進めるだけで面白みも糞もない。つまらない事だけが口から飛び出すのだ。眠くなる。事実、クラスの半数は寝てるぞ?
 俺も寝て過ごすのが通例。と言うわけで、例に漏れず今日も寝て過ごしたわけだ。だって、いつのまにか昼休みなんだから。
 「ふぁぁぁ……」
 大きく伸びをして、欠伸をしてみる。別にそれでいきなり覚醒するわけじゃないが、気分は悪くない。
 「霧島君、今日も良く寝てたわね」
 横からそんな声が聞こえる。振り替えるとそこにはクラスの委員長がいた。ショートカットに切り揃えた髪の毛が艶やかに光る。
 「……なんだ、芹さんか」
 「なんだ、じゃないでしょ?いい加減、ちゃんと起きて授業聞いてないと……」
 「ノートは誰かに借りて写せば良いし、テストだってノート使って一週間やりゃ点数採れる。困ることはないさ」
 寝惚け眼と覚醒しきらない頭で思うままに答える。芹はそんな俺に呆れたように溜め息を一つついた。
 「ノート、頼まれても私は見せないわよ?」
 「あ〜、大丈夫。唯に見せてもらうから」
 「ほんと、唯ちゃんに頼りっぱなしよね……。あとあと辛くなるわよ?」
 「いやいや……。そんなことより今は昼飯の方が重大だ」
 とりあえず不器用に笑って見せる。芹はそれに答えるかのように、しかし曖昧だったが笑った。
 ――― 柴野芹。学級の委員長をやっている、やはり入学前からの友人だ。中学の頃はアテもなく俺、敬太(ケータ)、唯、芹さんの四人は良く吊るんでいた。性格も趣味も、みんながみんな、何処かしらの共通点を持っていたわけでもないが、不思議と仲が良かった。高校に入ってからも、それは変わることはなく、芹さんとは同じクラスだが、唯、ケータも、クラスは違えど、未だに良く四人一緒にいる事は少なくない。
 四人の中でも、芹さんは一番目立つ。艶やかなショートカットに抜群のプロポーション。まさに典型的な(?)美人だ。唯も美人の部類に入るのだろうが、なんというか少女の粋を出ない。
 ケータもあの容姿に性格から、なかなか目立つので、高校入学時から俺等四人は、目立つ変な組み合わせとしても有名である。
 「とりあえず、いつもみたく食堂いくか。もう二人も先に来てるだろ。」
 「そうだね、敬太はまだ来てないと思うけど、唯ちゃんはもう来てるんじゃないかなぁ」
 芹さんが虚空を仰ぐ様に視線を虚ろわせる。
 「まぁ、唯はいつも早いからな」
 「すこしは敬太も唯ちゃんを見習って早く来てくれれば良いのに……」
 「ケータには難題だな」
 「そうだね」
 俺と芹さんと。ひときしり笑い合うと、芹さんは弁当の包みを片手に。俺は手ぶらだったが、食堂へと向かった。


 食堂はやはりというか、多くの学生が集まっていた。中には芹さんのように弁当持参の者も多く見掛ける。長テーブルがいくつか並べられ、その一角、窓際の端四つの席が俺達の特等席だった。と言うのも、ほぼ毎日、席取りが激しくなる前に、唯が弁当持参でそこの席を確保しておいてくれるからだ。
 「あっ、隆君に芹さん!!はやくお昼食べよ〜」
 俺と芹さんが食堂に入ってすぐに、姿を見付けた唯が声を掛けてきた。勿論場所は特等席。
  「悪い!!少し遅かったか?」
 端に座る唯まで声が届くよう、少し張り上げる。すると唯が可愛らしく微笑み手を振った。
 「霧島君。私、先に唯ちゃんとこ行ってるわね。ご飯、買ってくるんでしょ?」
 芹さんが弁当の包みを少し掲げ、言う。そうだった。俺は弁当持参組じゃないしな。
 「先に食ってていいよ。俺も買ったら行く。唯にも伝えといて」
 「了解〜」
 芹さんが上機嫌に歩いていくのを見送ると、俺は券売機の列の最後尾についた。
 食堂は券食交換制で、食事時になると一つしか設置されていない券売機に長蛇の列ができる。安く、美味く、しかも数に限りがある性で、定番の人気メニューは、特にラーメンやカレー類はすぐに売り切れてしまう。四限を最後まで寝ていたことが原因だが、来る時間が遅かった。比較的早く順番は回ってきたものの、日替わりや人気メニューの券は既に売り切れだった。
 仕方なく残っていた定食の券を買い、カウンターに提出、待つこと数分。料理の乗った盆を持ち、席へ行く。芹さんと唯は隣り合って座って、弁当をつつきながら楽しそうに談笑している。ケータの姿はまだない。俺は唯の向かいの席の椅子を引き座った

 「あっ、隆君。思ったより遅かったね」
 「結構並んでたしな、定食しか買えなかった」
 やれやれといった風に肩を落として見せる。そんな俺に、唯は微笑した。
 俺が席に着いたことに気付いた芹さんが周囲をくるっと見回し、訪ねてくる。
 「霧島君。敬太、さすがに遅いよ。並んでるとき会わなかった?」
 「いや?会ってないけど……」
 俺も周りを見回してみるが、ケータの姿はない。……と、食堂の入り口から入ってきたのは噂の主、ケータだ。
 「……今来たよ」
 「……来たわね」
 当のケータはというと、一直線に席に来ると、俺のとなりに腰かけた。
 「わりぃ、遅くなった」
 「敬太、遅すぎ。何やってたの?」
 ケータの向かいに座る芹さんが問い正すような口調で聞く。
 「いやなに、数学の澁谷と喧嘩してな。アイツ、生徒指導担当してるから何かと五月蝿いんだよ。……あっ、その玉子焼きいただき!!」
 一瞬の隙を突いて、定食の中央に据えられた玉子焼きを一掴み。口の中に放り込んだ。
 「あっ、ケータ!!お前、勝手に俺の玉子焼きを〜!!」
 「いいじゃねぇか、玉子焼きの一つや二つ」
 「敬太、はしたない事しないの」
 芹さんがケータを、まるで母親の叱るような口調でいさめる。……つーか、俺の玉子焼きが……お楽しみが……
 「た、隆君もそんなに叫ばなくても……わ、私ので良かったらあげるから」
 「あ、ありがたく頂きます!!」
 唯の戸惑ったような笑顔に感謝する。俺は彼女の弁当箱から、箸で一つ、玉子焼きをつまみあげると、口の中にいれ、転がす。
 ――― うまい!!手作りだからできる暖かな至福の味……
 「って、これ唯の手作り!?」
 「う、うん。そうだけど……美味しくない?」
 「そんなことない、めっさ美味い!!」
 「よかったぁ〜」
 安堵の表情を浮かべる。いや、マジで美味い。唯ってホントに料理上手いな。
 「……で、敬太は何を喧嘩したの?」
 芹さんが聞くと、ケータがうんざりした表情で答えた。
 「澁谷のやつ、何かとしつこいんだよ。髪の毛染め直せとか、 もっと服装ちゃんとしろとか。授業中とか、いやみったらしく当ててくるしさ」
 「まぁ、ケータも授業中に睡眠とる派だからな」
 ケータは俺と同様、授業中は寝ていることが多い。外見や服装からクラスで目立つので、教師の怒りの矛先を向けられることも、また多いのだ。
 「寝てていきなり当てられるのに、それでも敬太君は質問に正確に答えられるんだから凄いよ」
 唯じゃないが、本当に凄いと思う。
 「別に凄いことじゃねぇよ、普通だって」
 当のケータは当たり前のようにいう。そんなケータの姿に芹さんが笑う。
 「そんなことないわけないでしょ?ほんと、一種の才能じゃない?教師のほとんどが驚いてるわよ。敬太、自分のあだ名、知ってる?」
 それは俺も聞いたことがある。
 「知ってるよ。『睡眠学習の神』だろ?いわれる方にとっちゃ、随分と迷惑な話だぜ」
 ケータはやれやれといった感じで首を振る。奴の学力はあくまで努力の賜だ。学校であまり勉強してない分、家での学習時間を取っているのだ。
 「ケータも、おとなしく学校で勉強したら良いのに。そうすれば先生に目をつけられることもないと思うし……」
 「俺は学校は遊びと寝るとこって決めてんの。考え方が芹とは違うし、教師の勉強だけじゃ目的は果たせないからな」
 ケータはいつもこう言うが、目的の内容は誰も知らない。
 「で、敬太君はお昼買ってこないの?」
 唯にいわれてかケータが食堂のカウンターに掛けられた時計に目を向けた。つられて俺の目も時計を捕える。昼休みの残り時間は既に後十分もない。
 「いいわ今日は。もう時間ねぇし、どうせ午後の授業も体力は消費しねぇしな」
 ……なんていい加減な。






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