「その……だな」
思わず口ごもる。俺にとっては、こんなことはもちろん初めてだったし、今まではあくまで他人事のように思っていたからだ。まさかこんな日が来るとは。望みはしても、来ることなどないと思っていた。
そんな俺とは裏腹に、相手にとっては一生一代。勇気を振り絞って心から。いい加減には答えられない。誤魔化すのも駄目だ。
「だめ……かな……」
語尾の方にいくにつれて、声は小さくなり、もしそれが普段の会話だったのなら聞き取れなかったことだろう。しかし、今は別。俺達の周囲には誰もいない。もし居たら居たで、速攻で殴って口封じするだろうけど。
俺は右手で頭を掻く。全ての感覚が麻痺しているような錯覚を受ける。
「だめ……というか……」
眼の前の少女から眼が離せない。
肩より少し下まで伸ばしている黒髪。
すこし実年齢より幼く見える顔立ち。
やはり、平均より少し低い身長。
いつもと変わらない幼馴染みが、いつもの数倍は顔を赤くして、俺を見つめている。
夕方の美術準備室。またの名を美術部部室。学校の二階に位置するそこは、部活のない今日は特に静かだった。西向きの窓からは薄い夕日の光が差しこみ、部室を赤に染め上げている。背景としては最高の絵になるだろう。
「私、ずっと……小さいころから隆君の事見てきたから……」
俺のことを名前で呼ぶ人は少ない。学校生活の中に限れば、ほとんどの知人友人は俺のことを『霧島』と呼ぶ。
唯一幼いころから付き合いのある彼女だけが、俺のことを隆君と呼ぶのだ。
そう、彼女は特別だった。幼馴染みと言う括りがなければ、今のような関係は築けなかっただろう。俺と彼女はそれほどに、長い時間を一緒に過ごしてきたのだから。
幼稚園、小学校、中学、高校。本当に不思議なことだけれど、その縁が切れることはなかった。確かに、幼い時のように無邪気に遊ぶようなことはなくなったけれど、俺にとっての幼馴染みは彼女―――吾妻唯から変わることはなかったのだ。
「私、本当に……その……隆君の事、ずっと前から……好き、だったから……」
不安の入り混じった小さな声で言う。
俺自身、唯の事が嫌いなわけじゃない。どちらかと言えば……いや、言わなくても、俺にとっての彼女は特別な存在だ。好きだ。
俺には才能があった。昔から絵を書くことが好きだった。中学に入学したころから、他人に絵を認められるようになり、色々なコンクールに出展し、名のある成績も収めてきた。
俺の、『絵を誉める人』は沢山いた。学校の先生も友人も。コンクールの審査員も、皆そろって『俺の書いた絵』を誉めた。
そう、『絵』を誉める人の中で、描いた俺を誉めてくれる人は、ただ一人。
それが唯だった。彼女だけが俺を見た。例え描いた絵がコンクールで好成績を取れなくても、それに対する慰めじゃなく、俺の頑張りを、本当に近くで誉めてくれたんだ。彼女の言葉が次に繋がる掛け橋であったし、支えであった。
俺は確かに唯の事が好きだ。でも、今の俺には自分の唯に対する『好き』が、今、唯が俺に向けてくれているような、愛情から来る『好き』なのかどうか、俺自身分からない。
「俺、お前のこと……その……好きだよ。でも、それが恋愛感情からくるものなのかどうか……正直、分からない。だから……」
唯は不安げなまなざしで俺の次の言葉を待っている。俺はそんな唯から視線をはずし、後ろにあるキャンパスに目を向ける。
そこには、俺が秋のコンクールに向けて描いている大きな一枚絵があった。美術室の西向きの窓から見える、小さなこの街の風景を用紙一杯まで描いている。まだ下書きの段階だが、大まかなところはほぼ完成している。
「この絵……今描いているこれが、完成するまで……それまでに答えを探す。完成したら一番最初に唯に見せるよ。それじゃ……ダメか?」
唯の方へ振り返ることはしなかった。どんな顔を唯に向ければ良いのかわからなかった。
「綺麗な……絵……だね……」
唯は絵の方―――俺の前へと歩いていく。そして、絵と、窓の外の暮れゆく夕日に照らされた赤色の街並との間で、見比べるように視線を往復させる。
「今回も……いつも以上に頑張ってるんだね……」
まだ鉛筆だけで描かれている白黒の街を右手で優しく撫でた。
「本当に……優しい絵……」
唯はぴょん、と半回転飛んで、俺のほうへと振り返った。髪の毛が軽く跳ね上がる。窓から差し込む光に照らされて、煌びやかに光った。
「待ってるよ、絵が完成するまで。隆君は、必ず絵を完成させたら答えをくれるもんね。」
結いの顔は逆光となって、陰になっていたが、その表情は確かに明るい、いつもの唯の笑顔だった。
「ああ、約束する。」
自然と笑みがこぼれる。
「約束……ね?」
夕日に照らされた部室。その中で、俺は唯と右手の小指を絡ませ、大切な約束を交わした。そばにある、大きな描きかけの街は表情を変えることなく、俺たちの指を、影写しとして繋げた。
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