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桜 〜舞い踊る下の物語〜


 いつもの時間。いつもの場所。
 いつの間にか、それは出来上がっていて。
 そう、今日はいつもの時間に先に着いたのは僕だった。
 こんな日は珍しい。
 いつもの場所。そのベンチに座って、僕は空を見上げた。
 桜の枝の隙間から覗く蒼。空にに広がる海。泳ぐ白い雲。
 今日も空のキャンパスは、光る青色に少しの白が混じった快晴だった。
 蒼に、桜の赤が映える。
 赤というにはもっとピンク色に近い桜。蒼というにはもっと水色に近い空。相乗効果というのか、互いの色がより一層、明るく輝いてみえる。
 空に響く声。また今日も公園にはたくさんの子供が走り、遊んでいた。
 ━━━━少しだけ、変わったかな。
 周囲を見回して、思う。
 そう、桜が花開いた。もちろん、ここの桜だけ。
 例年通り。相変わらずの早咲きだ。
 公園の中もまた、少し変わったかも知れない。それは僕が気がついていないだけなんだろうな。
 一番分かりやすいのは遊んでいる子供たちの服装だ。さすがに元気だ、と感じる。まだ僕はコートを手放せないこの気温でも、多少真冬よりは気温があがったからか、子供たちは既に手袋もマフラーもウインドブレイカーさえも手放している。
 と、公園の入り口に目がいった。
 少し、嬉しくなる。
 待ち望んだ姿が、そこにあった。少し公園を見回した後、僕に向かって彼女は大きく手を振った。 「ごめんなさい直哉さん、少し、お待たせしました」
 彼女はあれから僕のことを名前で呼ぶようになった。僕も、彼女のことを名前で花梨、と呼ぶ。
 本人いわく、名字で呼んだり、呼ばれたりが嫌なのだそうだ。ついでに敬称……これは僕を呼ぶときには付けるのに、自分が付けて呼ばれるのは嫌だと言う。
 最初は名前で呼ぶことに戸惑いを覚えたけれど、何事も馴れ……なんだろう。名前で呼ぶ、という行為が、何故か彼女をとても近しく感じさせる。
 手を合わせて謝りながら、またいつものように僕の隣に荷物を置き、カメラを取り出した。
 いつものように━━━━
 いつの間にか、それは一つの日常としてそこにあった。
 あれからまだ1ヶ月と立っていないけれど、いつの間にか出会えば次に会うときの話をして。雨が降れば近くの喫茶店に移動したり。
 花梨がカメラを持ったまま、いつものように定位置━━━━僕の正面、ベンチから十メートルほどの位置に立って、桜の木を見上げる。
 「今日は……風があまり吹いていないんですね」
 花梨がそんなことを言う。
 「そうだね……」
 気を向けてみると確かに、微々たる空気の流れこそ常にそこにあるが、風と呼べるほどの強さはない。
 「不思議だな、どうして気がついたの?普段はあんまり、気にもしないことだろ?」
 僕が思ったことそのままに聞くと、彼女はくすりと微笑んで答えた。
 「桜の木が揺れていなかったから……それにほら、葉の擦れる音も微かに聞こえるだけでしょう?」
 そう言われて耳を澄ます。花梨の言ったとおり、ほとんど気にならない程の、微かな小さい音だ。
 「だから今日は暖かく感じるんだね」
 「そうですね。風がなく、お日様は優しいです」
 花梨はくすりと笑うと、見上げる桜にカメラを構えて、シャッターを切った。
 太陽が優しい……か。
 なかなか彼女らしい表現の仕方だ、というのは言い過ぎだろうか。
 花梨はカメラを胸元の位置に下ろして、フィルムの残り枚数を確認したのか上からのぞき込んだ。
 で、そのままに数秒間動かない。
 「ん?どうかしたの?」
 不思議に思って僕が立ち上がって花梨の方へ近付こうとする。と、
 またパシャっとシャッターを切る音が聞こえた。
 瞬間技だ。こっちが反応をする前に、カメラのレンズは僕の方に向いたまま、その音をたてたのだ。
 「あ、あれ?」
 自分が写真を撮られたことを確認するまで更に数秒間の時間が掛かった。
 「ふふふ、」
 「ちょっ、花梨っ」
 顔を伏せたままに笑う彼女を見て、理解する。確信犯だ。
 言い縋った僕に、花梨は顔を上げて笑った。
 「だって、直哉さんはカメラ向けたら逃げるじゃないですか」
 「だからっていきなりっ」
 「言ってからだと撮らせてはくれないでしょう?いきなりの方が、自然な表情が写っていて良いと思いますよ」
 花梨はカメラを抱え込んだままに、本当に嬉しそうに笑っていた。
 「というか何故に僕を撮ったんだ……」
 彼女は僕の方へ歩いてくる。ベンチの前まで来ると、まさにそこが定位置であるように、僕の隣にひょいと腰掛けた。
 「カメラは、私の記憶みたいなものなんですよ」
 あえて僕の方を見ないようにしているのか、桜の花の影から見える空を透かし見て、彼女はそう言った。
 「前にもそんなことを言ってたね。それはいったい……?」
 僕が訪ねると、花梨は視線を僕の方へ向けて、真剣な表情で言った。
 「実は、私。もうすぐ記憶を無くしちゃうんです」
 「あ、え……?」
 彼女の言った言葉の意味を理解できずに、呆然と聞き返す。
 「今日、ここに来るのが遅くなってしまったのも、病院に寄ってきたからなんですよ……」
 ……。
 思考が一瞬で停止した。
 「……ぁ、えっと……」
 「……」
 「……本当に?」
 「…………」
 「あの……ねぇ……?」
 「………………くす」
 と、次の瞬間には、花梨の真面目な表情は崩壊した。右手を口元に当てて、笑い出した。
 「あ……え?」
 唐突に破顔した彼女に、僕は事実を知る。またもや確信犯かっ!!
 「ま、またからかわれたっ!?」
 「ふふ、本気で信じて、心配してくれるとは思いませんでした」
 花梨は笑いながらそう洩らした。僕はといえば、ぽかーんとしている以外無い。
 花梨と会うようになって、時たま彼女はこういう事をする。おしとやかな第一印象を受けた後、初めてのドッキリを受けたときはなかなかお茶目であると印象に書き加えたわけだ。
 「まったく……また引っかかった訳か」
 「ふふ……、そういじけないでください」
 花梨は再び僕の方を向いて、いつもの笑顔を浮かべた。
 「フィルムの枚数ももう無かったので。今日のうちに撮り終えれば、明日からは新しいフィルムを使えますしね」
 そう言って、花梨はベンチから桜の枝、花びらを見上げるような形でカメラを構え、またパシャッと一枚。
 それでちょうど写真を撮り終えたのか、カメラは彼女の手の中でジー、という機械音を立てた。フィルムを巻きとっているのだろう。
 まぁ、良かった。僕は内心、胸をなで下ろす。彼女の言葉が、本当に冗談で良かった。真面目な顔をして話すから、少し信じかけた自分がいた。まぁ真面目に考えれば、そうそう記憶を失うなんてファンタジックな体験をすることもないだろうし。
 胸をなでおろした━━━━はずだったか、動悸は収まらなかった。心配とはまた別の理由からくる動悸であることは、これも自分自身で分かっていたと思う。
 笑んだ表情、そして、いたずらっぽく笑った彼女を。僕は━━━━


 だから……だろうな。
 そのときの彼女の表情を読み取れなかったのは。そうと知ったのは、少し後になってからだ。
 今思えば、彼女は一体━━━━どんな思いを胸に、桜を見上げていたんだろうか……







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