桜 〜舞い踊る下の物語〜
桜が舞い散る。 風が吹くたびに、その枝葉は揺れ、薄紅色の花びらが空を舞い、ベンチに降り積もる。 目の前に一枚。 手を翳せばその上に。 頭の上にも降り積もる。 僕はベンチから立ち上がる。 何をするわけじゃないけど、だからこそ、ここに留まることを止めた。 ふい、と空を降り仰ぐ。いまだ晴天。今日一日、この天気のままにあればいいな、と素直にそう思う。 雲が動く。風が撫でる。 ━━━━僕の時間は確かに動いているんだ。 不意に携帯が鳴り響く。今、メジャーデビューして間もない新人アーティストの着信音。軽快なポップスが鳴り響いた。 この着信音はメールかな。 電話の着信音も、やはり同じアーティストの曲だが、それはどこか切ないバラードだ。 携帯を親指で操作し、メールを確認する。それは高校来の友人からだった。 内容にさっと目を通す。 そういえば、約束の日は今日だったか。 大学の卒業祝いに駅前に久々に集まって飯を喰おう、てな計画があったはずだ。 久しぶりに会うメンツもいる。皆が皆、現役で大学入試に受かり、留年しなかったやつらだ。まぁ、大学のレベルはそれぞれだが。 何かあったのだろう。約束の時間を30分ばかり、遅くするとの連絡だ。 まぁ、そうなればそれで。 ━━━━てか、待ち合わせ時間までどうしよう…… 癖のように再び空を見上げる。もちろん何も変わることなく、桜は舞い散り、空は青かった。 次に足は動いていた。目的地は、待ち合わせ場所付近の喫茶店。延びたのは30分だし、コーヒーの一杯でも飲んで、待っていればいいだろう。 公園から外に一歩踏み出して、最後に公園を振り返る。 桜の全体像が望めた。儚く、それでいて威風堂々。矛盾した言葉、しかしそれでもあの桜にはぴったりだと感じる。 さして離れたわけではないが、そうじゃなかったとしても、同じ感想を抱くだろう。桜は力強くそこに立ち、しかし花びらは儚く舞い踊る。 そこに━━━━ 一瞬だけど、人影を見た気がした。 それが幻であることをしっている。 ━━━━僕はまだ、そこに君を見るんだ。 昨日の出来事がまるで夢のようで、全く現実感がない。 それでも僕は、多少の期待を抱いて、昨日の公園へ向かった。 時間はバイトの一時間前。昨日よりは、少し早い。 何故かは分からないけど、もう一度、彼女に会いたいと思った。 そこに彼女がいると確証がある訳じゃない。約束だってしていない。でも、期待せずにはいられなかった。 自分でも不思議に思う。 ただ、ちょっとした偶然からすれ違った彼女。名前も知らない。 なのに、もう一度、会いたいと思い、僕は自転車を漕ぐ。 スピードを上げる。空気を貫く。今日がいい天気で良かった。 公園に着くまで、さして時間は掛からなかった。まぁ元々家から大した距離がある訳じゃない。特に自転車であれば、十分弱で到着できる。 自転車を公園の入り口に停車させる。公園の桜は、昨日と大して変わったようには見えなかった。でも…… ━━━━まぁ、無理もない……か。 期待は期待で終わる。希望は希望で終わる。 公園の桜の下に、彼女の姿は……無かった。 そう、別に会う約束をしたわけではない。でも、それを分かっていても、多少の落胆はあった。 意識せずにため息が漏れた。それと一緒に、少し肩は軽くなった。彼女に会えることを期待していた反面、やはり少しの緊張があったらしい。 ポケットから携帯電話を取り出す━━━━液晶にはやっぱりバイトの一時間ほど前の時間が表示されていた。 時間はありすぎた。自転車を入り口に止め、昨日に彼女が座っていたベンチに腰掛けた。 途端に二度目のため息が漏れた。 落ち込んでいたわけじゃない。そもそも約束なんてしていないのに、落ち込むなんておかしい。 そう言い聞かせつつも、僕の心はいまだ暗雲が立ちこめている感じ。 自分でもよくわからないし、どうすればいいのかもわからない。 ……とりあえずバイトまでの時間、何をしてようか。たいして意図もなく、何も考えずにこのベンチに腰掛けたのだ。 視線を公園内に巡らせる。また、子供たちが遊んでいる。いくつかのグループに分かれ、それぞれに鬼ごっこを初めとする追いかけっこや、中当てのようなボール遊びに興じている。 そういや、僕がこんなふうに無邪気に遊んでいたのはいつ頃までだっけな…… 記憶確かじゃないけど、たしか彼らと変わらないくらい幼かったことは覚えている。 小学校の低学年……といったあたりかな。高学年に入ると、室内でのデジタルな遊びがほとんどだったように思う。 無邪気な彼らの姿を見ていると、不思議と混ざって一緒に遊びたくなるな。まぁ、もちろんそんな事が出来ないことは分かりきっているが……思い返せばもう何年も、鬼ごっこなどやってない。 友達の家でのテレビゲームをやっている時間は楽しかったように思う。しかし走り回ることはより原始的だが、同じくらいに楽しかった。それこそ、時間を忘れるぐらいに楽しかった。 今思えば、何も遊ぶ物が無くても『鬼ごっこをやろう』と言えたあの頃は、とても楽しく、何より大切な時間だったのかもしれない。 「お、」 そんな間に、おそらく鬼の少年が、逃げる少年に迫っていた。1対1のせめぎ合い。 しかも追う鬼の少年は、よく見れば、昨日転んで怪我をしていたあの少年だ。 「がんばれっ、追いつけるぞっ」 必死に逃げる少年。しかし真っ直ぐに逃げれば、さして広くはない公園だ、すぐに行き止まり。それをしっかり分かっているのか、多少引き付けて、大きな円を描くようにカーブ。それを追う鬼の少年も、必死に食らいつく。こうなれば体力勝負か。 「よし、もうちょっとだ。踏ん張れっ」 このとき、僕自身はまるで彼になりきったかのように些細な興奮を感じていた。つぶやく程度の声量ではあったが、無意識に応援を口に出していた。 「あと、少し、手を伸ばせっ」 あと、ほんの数十センチ。あと、一歩━━━━。 「よし、」 タッチした。逃げた少年も、それを追った方も、互いに息を切らしているが、しかし双方ともに実に楽しそうな顔で笑っていた。 「何を見ているんですか?」 「うわっ」 彼らに見入っていた僕は、横から……視界の外から掛けられた声に驚いた。 そのままに振り返る。そこには━━━━ 「あ、あの子、昨日の子ですね」 少年を見て笑う彼女は━━━━確かに、昨日の彼女がそこにいた。 思わず言葉を失ってしまった。 「ん?どうかしましたか?きょとんとしてますよ?」 まるで昔からの友達に向けるような親しげな笑顔で、彼女は笑った。思わず見惚れ…… ━━━━じゃなくてっ!! 「い、いつの間に?!」 僕が疑問を口にするまで数秒掛かったのは、驚きだけじゃない。しかし、それを表情に出さないようにしようと、さらに慌ててしまう。 「えと、ここに着いたのは今さっきです」 対して彼女はまるで気にした風もなく、また、そこに疑問を持った風でもなく答えた。 「え、あ、というか、どうしてここへ?」 「昨日、言ったじゃないですか。毎日、この桜を写真に収めて、いつ咲くのかなってそれを楽しみにしよう……って」 そう言うと彼女は僕の正面10メートルほどの距離まで歩いていき、昨日と同じように鞄からカメラを取り出す。 「だから、今日も一枚」 僕に可愛らしく笑顔を向け、桜に向かって……少し上向きにカメラを構えてシャッターに細い指をかける。 パシャリっと乾いた音が聞こえた。 フラッシュは焚かれてはいなかったようだった。彼女の位置からなら逆行にもならず、天気も良く明るい。 もう一度、先と同じ事を思う。今日がいい天気でよかった。何より、もし雨など降っていたら、おそらく数パーセントの会えるといった期待も機会も、全ては失ってしまっていただろうから。 そう、結果として僕は彼女に会えたことを、思っていた以上に喜んでいる。 「隣、良いですか?」 桜の写真を撮り終えた彼女は僕の側まで戻ってくると、僕の隣に腰掛けて愛用のカメラを膝に置いた。 「昨日と今日と。毎日撮った写真は、何か変わってるのかな?」 ふとした疑問を投げかけてみる。毎日の写真記録に、大きな意味合いはあるのか……いまいち、良く分からない。美しい景色を写したいなら、桜の花が咲いたその時に写真として写せばいいように思えてしまう。 「写真は、私の『記録』なんですよ」 どこか憂いを帯びたままに、彼女は笑った。 「確かに、一日じゃ大した変化はないと思います。でも必ずどこかに小さな変化はあります。それを少しずつに留めて。その時、その瞬間だけの景色を写していく……それが私の『記録』だと思うんです」 彼女は頭上に広がれる桜の枝葉を眺めながら、そう言った。僕には彼女の言った言葉の意味を、うまく掴めなかった。ただそれでも、写真を撮るという行為が彼女にとって大きな意味合いを持つのだろうということが漠然と感じ取れた。 「毎日……かぁ。今まで撮った写真とかは、やっぱりアルバム?」 「はい。1日分の写真でアルバムの1ページぐらい埋まってしまうこともありますし。1ヶ月で一冊のアルバムって感じですね」 「それはすごいな。でも、撮った写真を自分で整理するのって大変じゃない?」 「大変は大変ですけど……でも私は、あの作業が一番の好きですね」 彼女はカメラに視線を落とす。そして、その円筒形のレンズを軽く撫でた。 「ほら、フィルムカメラって、どんな写真が撮れているのか、その場では分からないじゃないですか。写真屋さんにフィルムを渡して、アルバム整理の時に、返ってきた写真を初めて見る。その瞬間が、一番楽しみなんです」 彼女は少し照れたようにほほえんだ。 「なるほどね、そういうことか」 一つのプレゼントボックスのようなものだろうか。それはたとえ自分で撮った物だと言っても、開けてみるまで、実際にどのように撮れているかは分からない。 「……カメラってとても不思議な箱だよね」 「え?」 その言葉に彼女は驚いたように、僕の方を振り返った。 僕自身、特に何かを考えた訳じゃない。思った事がぽんと口から出ただけだ。 「えっと、少しおかしいかな?」 「そ、さんなこと、無いですよっ」 彼女は慌てたように早口に、せしてまるで弁解するかのように答えた。後に一つ、呼吸を置く。 「ただ、本当に驚いたんですよ」 「驚いた?」 「はい。同じようなことを考える人って、やっぱりいるんですね」 嬉しそうに表情を綻ばせる。新しい発見をした子供のように、彼女の瞳が輝いて見えた。 「小さい頃、母が写真を撮るのを見ていて。本当にこれは魔法の箱なんじゃないかって幼心に思った事があったんです。今でも確かに、私は機械にはあんまり詳しくはないんで、これは今でも『不思議な箱』のままなんですけどね」 そう言って、彼女は照れくさそうに頬を軽く掻いた。 なんというか、彼女は感性が純粋だ。好きなことを好きと、思ったことを思ったままに言うことの出来る人なんだろう。 「あなたはどうして、ここに来たんですか?」 「君は昨日と同じ事を聞くんだね」 「今日最初に昨日と同じ事を聞いたのは、あなたですよ?」 少し思い返してみる。そういえばさっき驚いたときに、先に僕が彼女に尋ねたような…… 「でも、僕は君のように昨日と違う理由はないよ?バイト前の時間に、ここに寄り道をしているだけさ」 まぁ嘘はついていない。もう一つ、今日に付け加える理由はあったが、それを面と向かって言えるはずもなく。 「それでは、いつもこの場所に?」 「そうだね、バイトは週五日だし、ほぼ毎日、かな?」 正確にはバイトはほぼ毎日あるが、この公園によるのは時々だ。それだけバイトぎりぎりの時間まで家にいるわけた。 嘘をついた訳じゃない。が、僕はごまかしていた。 なぜごまかさず正直に答えなかったのか……見栄を張りたかった訳じゃないだろうと思う。見栄を張って何か得がある場面じゃない。 「それでは、また会うかも知れませんね」 そう、ただ……またここにくれば、彼女と出会えるかと。 淡い期待を抱いていたんだ。 「ぁ、昨日は自己紹介できませんでしたね、私は中原花梨といいます」 そう言って彼女━━━━中原花梨は僕に優しい表情を向けた。 ━━━━またこれからも会えるかも、と思ってしまったんだ。 「僕は宇崎。宇崎直哉っていうんだ」 そう、今度は僕から笑いかけ━━━━違う、自然と笑みがこぼれてきた。 彼女の微笑みに。僕も笑った。 |