夜明け色の瞳の魔術師
|
プロローグ 「ハァ、ハァ……」 息が切れる。動悸が激しい。 「ァ、ハ、ハッ……」 森と呼ぶには面積の少ないその山の斜面を、深い暗闇の中で下る陰があった。道無き道、先の見えぬ闇をただ下る。 怖くないのか?━━━━すごく怖いに決まってる。でも━━━━ 後ろを振り返る━━━━だめ、まだ撒けないっ!! そこには四足歩行の獣の姿、しかしその形は異形のもの。 ━━━━今や古代の呪術等が伝説化、ゲームの中にしか存在しない力と認知されるようになってから、一体どれだけの時が流れたのだろうか。そもそもが表舞台に上がらぬそれを、人々が幻想と呼ぶようになったのは一体いつなのか。それすら記録にはない。現存するオカルトは一般には無いものとして世界は動く。無用な混乱を招かぬ為、今を生きる伝説は人々の目から隠された━━━━ その少女は後悔していた。今まであんなの、いなかったのに━━━━ 三年ほど前からか、彼女には幽霊が見えた。どこにでもいるそれは、世界の陰だった。多くの彼らに意志など無い。ただ、そこにあるだけ。 『亜子っ、そこ左にいってっ!!』 彼女━━━━皆岐亜子は彼女にだけ聞こえるその少年の声を頼りに更なる茂みへ、木々の間へと走る。 「ハ、っ……」 苦しい。けど足を止めたら…… 後ろを振り返る。それはまだ追ってきていた。 その異形は虎のような体、鷲のような翼を持ち、蛇のような尾。さらには三つの頭があった。獅子とあれは山羊だろうか。 (あんなのがいるなんて……!!) 『バカっ、振り返っちゃダメだっ!!』 「あっ、」 その少年の声に意識を向けたとき、既に時は遅く、何かに足を取られた。何か、を確認する必要はなかった。ただでさえ悪路、何に足を取られたとしてもおかしくない。亜子は自らの愚行に悪態を付く。 「早く立って逃げてっ!!」 今、亜子に聞こえたのは肉声だった。気付けば目の前には年端もいかない少年が一人、亜子を庇うように両手を広げ、向かってくる異形に立ち向かおうとしていた。 「なっ、に、」 亜子は少年に伝えようとする。逃げて、と。しかし体は空気を求め、口から出た声は言葉にならない。 「こんな僕でも亜子の盾にぐらいにはなれる。大丈夫、僕はもう死んでいるから」 少年はこの場に似つかわしく無いほど明るい声で言う。「だから、逃げて」と。 生まれつき幽霊の見える亜子。しかしそのどれもに共通して意志はなく、外見もグロテスクでしかなかった。 しかし半年ほど前に出会った少年は意志を持ち、しかし鎖に体を縛られていた。 「僕はね、君に出会ったお陰で救われたんだよ」 前にも聞いた同じ言葉を彼は言う。彼らのような存在を認識できる人が彼らとふれあうことで、鎖を解く事ができる。解ければ天国へ行ける、と。 実際、天国なんてあるのか分からないけど……彼は自重気味に笑った。 「もう良いんだ。僕のせいで君を殺してしまうなんて、嫌なんだ」 違う……!!彼に伝えたい言葉を亜子は言うことができない。 他にも彼のような幽霊がいるなら救いたい。そう思って、行動したのは亜子自身だ。彼は付いてきてくれただけ。 学校で、この山に最近、化け物が出ると聞いて。彼と同じような意志のある幽霊だと勝手に考えて。だって意志のある幽霊なら実体を持てるから。まさか本当にこんな化け物がいるなんて思わなかったからっ!! 「亜子、はやくっ!!」 少年の声に弾かれるように立ち上がろうとして━━━━再び倒れる。右足が、動かない━━━━っ!? 異形が迫る。少年が腕を広げ━━━━ 止めてっ!!お願いだから誰かっ━━━━ 「いっ、」 獅子の頭より生えるその鋭い牙が、少年の右腕━━━━半身をいとも簡単にかすめ取る。 ━━━━助けて!! 「いやああぁぁぁぁ!!」 亜子の悲鳴が山に木霊した。 ━━━━古来より肉体の内に生命力をより多く有する者達は、その生きるには必要過分の生命力を『霊力』や『魔力』と呼び、意思でそれを操る『術』を編み出した。 日本の古くは陰陽道、中国では気功、西洋では魔術などと呼び方こそ違えど、世界の所々に『術』の祖がある。そう、そしてオカルトの中に今や統合された現代の『術』が存在する━━━━ 勢いをそのままに亜子へと突進してきた獅子の体が後ろへと弾けた。木々を巻き込み、その巨体を宙へと踊らせる。 「えっ、あ……?」 何が起こったのか分からない。その不可思議な出来事に頭が着いていけなくなっている。 何か小さな光り物が亜子の背後から頭の上を通過し、それが異形に当たった瞬間、何もない所で、まるで壁に衝突したかのように弾かれた。しかし驚きに見開いた亜子の瞳にはそこに確かな壁を捉えていた。その小さなコインを中心に、展開した不可視の壁を。 「危なかった、最終のラインはギリギリ間に合った……大丈夫?」 そこに立っていたのは一人、亜子より少し大人びた少女だった。その闇を木々の間から縫うように照らす薄い月明かりの中、その長い髪がきらきらと光を反射させる様は幻想的で見とれてしまうほどに美しく、それゆえにこの場にいる彼女はまるで夢の中の住人であるかのように現実味を帯びていない。 「立てる?」 その少女が片手を差し出す。そこでその光景が幻ではないことを知った。安心と驚きの為か、それとも恐怖の反動か、亜子は無意識に彼女に手を伸ばし━━━━ 「あっ━━━━!?」 少女の後ろから飛びかかる異形を、見た。 「━━━━、」 少女は振り向きざまにコインを弾く。親指より弾かれたそれは、とても近い距離━━━━少女の振り返った目前にその巨体があったにも関わらず、不可視の壁を形成、それは多少も揺らぐことなく再び異形を後ろへと押し弾いた。 「うん……やっぱり重心のみの一点結界じゃ気絶すらさせられないか」 全く驚いた様子はなく、それが予想済みであったかのように落ち着いた声で話す。 少女は上着のポケットから右手に四枚のコインを取り出すと、内三枚を体勢を立て直そうと四肢に力を伝えているその異形の周囲へと等間隔に投げる。 「点は一つから面を成し、面は一つの異界を成す。界は無限の規律を持ち、規律は現実を乖離する」 パチン、と。 「━━━━界規律『縛』の三、三点専縛結界」 少女が指を鳴らすと異形を囲むように配置されたコインから力が走り、瞬間の後には不可視の壁が具現化し、三角柱の型の封鎖空間が異形を閉じこめた。 異形が吠える。その巨体を震わせ壁に当たる。破壊しようと動く。微細な振動が地を伝わる。 「もう、動けないよ。境界を越えて人に攻撃してきた魔物は討滅がルールなんだ」 その少女は閉鎖された空間の中で暴れる異形に悲しげに話しかける。━━━━ごめんね。 「━━━━形状変化、界規律付加『空間作用』」 コインのラスト一枚を異形の真上へと、弾く。 「空間、圧迫」 パチンと指を鳴らしたと同時━━━━その異形を捉えた空間が変形、それぞれのコインを頂点として線を結び、三角錐形の空間に変わる。その間にも上へと弾かれたコインは重力に逆らわず、地面へと向かう。 空間が、小さくなる。 「いやっ……!!」 亜子は目を堅く瞑り、両手で強く耳を塞いだ。それを貫くような巨大な音、異形の絶叫が暗い森に木霊したのはその数瞬後。 高さのない空間は、三次元ではなく。 「……これで、終わり」 少女の声にゆっくりと目を開けた亜子の目の前にあったのは赤い三角形。 濃い、朱色。 「あ……、うぁ……」 何も言えない。何を言えばいいのか解らない。目の前で起こった出来事は、幼い頃から本来見えないものに触れてきた亜子であっても想像を超えた現象であった。 『おびえる必要はないよ』 「え……」 後ろからふいに掛けられた声は少女の物ではなく。亜子が振り返った先にあったのは、彼女のよく知る、今は半身のぼやけた少年だった。 「なんで……生きて……」 『僕は幽霊だから。そう簡単には消滅しないよ』 少年は亜子に優しく笑いかける。 『ずっと一緒にいる。後ろのお姉さんも、別にそれでいいだろ?』 亜子が振り返る。今度は、その場に唐突に現れ、異形を倒した少女に。 「なに……?どういう……こと?」 亜子が少女に問う。少女は亜子へ、そして少年へと順に視線を移し、瞳を伏せた。 「あなたは私が誰だか知ってるんだね……」 『噂でね。そういうのがあることは知ってたよ』 「そう……」 悲しげな表情のまま、亜子へと視線を移し、静かに告げる。 「亜子さん、あなたを『魔眼』保持者として仮認定し、独立秘特殊保安組織『紫晄』、特務一課所属、月城麻衣の権限で保護、支部へ護送します」 差し出されるその細い腕は反抗を許さないもので。亜子はそこにあったもう一つの世界に足を踏み入れたことを、確かに感じた。 〜 to be continued 〜 |