桜 〜舞い踊る下の物語〜
いつもの時間、いつもの場所。それもこれだけ長く続けばなかなかのものだと、自分でも思う。 その間、僕自身、少しぐらい心の整理も出来た……って言い方はどこか変な言い回しではあるが、花梨に対する感情に確かなものを覚えるようになってきていた。 カシャリ。 僕はいつもと同じようにそのベンチに座って、彼女が桜を写真に納めるのを見ていた。 「ふわぁ、改めて見上げると、この桜もすっかり夏の服装ですね〜」 愛用のカメラを胸元まで下ろし、花梨は緑色に変わった桜を見上げ、呟いた。 「夏の服装?」 「はぃ。よく雪化粧って言葉はあるじゃないですか。このあたりは雪が降っても積もらないらしいので、その言葉は使う機会は無いでしょうけど……」 花梨は、またいつものように笑った。 「こういう木って季節ごとに色を変えるじゃないですか。まるで着替えてるみたい」 「なるほどね、それで夏の服装か」 そう言って僕も桜を見上げる。 「そうだね、もう桃色だったことが、まるで嘘だったみたいに緑色……」 もう夏本番が近い証拠だろう。一見、桜のイメージとは結びつかないほどの緑色。彼女が夏の服装と表現したその緑の桜は、初夏の強い日差しをしっかりと遮って、この日陰を作ってくれている。 また彼女も、同じ様に桜を見上げたまま、隙間から抜けてくる光の線に眩しそうに左手を掲げる。 「桃色が桜の一般的なイメージですけど、こうして見れば、桜が桃色をしている時間よりはそれ以外の色をしている時間の方が多いんですよね」 「そう言われれば、確かに。桜に限らず、花とか植物って、みんなイメージは花が咲き、開いているところが一般的な気がするね」 どんな植物でも、その名前を聞いて思い浮かべるイメージは、花開いている姿だ。 「もみじとか銀杏みたいに、紅葉を思い浮かべる植物もありますけど、種類は少ない感じがしますね」 花梨はこれもいつもの定位置……僕の隣、ベンチに腰を下ろした。 「どうして花の咲いている儚い時間のほうが、印象に残るんでしょうか……」 「そうだね……、花は特に、咲き誇ってる時が綺麗に見えるから……かな?」 少しだけ考え、僕は思い浮かんだ事をそのままに言った。 「一番、綺麗に見える時……ですか?」 「そう。例えば桜とかは花が咲いている時が一番綺麗に見えるからそのイメージ。さっき花梨が名前を挙げた、もみじとか銀杏ってのは、紅葉している時が一番綺麗に見えるから、そのイメージなんじゃないかな?」 なるほど、と彼女は少しばかり関心したように、小さく頷いた。 自分で言った事ながら、今までこんな事を深く考えたことはなかった。そもそも桜にしてももみじにしても、今まではそこにある置物のような感じで、側を通っても桜をはじめとする植物を目に留めることはほとんど無かったから。 「僕たちにとっては暑い初夏の日差しも、植物たちにとっては元気の源……か」 僕はベンチにぐたっりともたれ掛かって、うんざりだ、と右手で斜光を遮った。 あはは、と花梨も乾いた笑みで答える。 初夏。もう夏の手前。 雨期が過ぎ去って、あの喫茶店での待ち合わせも少なくなったが、今となっては逆に喫茶店内に効いているだろう冷房が恋しい。夏の間こそ晴れの時でもあそこで待ち合わせが快適なのだろうが、毎日通うような、そんなお金は持っていない。このあたり、貧乏学生の性だ。 花梨ももう夏服だ。片口から袖の切れた白のワンピース。これに麦わら帽子でもあれば、凄く似合うと思うけれど、まさか僕の好みのファッションが都合よくそこにあるわけもない。 「今の時期からこれだけ暑いと、今年の夏本番はすごくきつそうですね」 花梨は白いハンカチで薄く額に滲んだ汗を拭って、はふぅ……、と息をついた。 「ホント……今年はどれだけ暑くなるか分からないな……」 そう言って、僕は空を見上げた。 雲一つない青空。快晴も快晴、こんな日はめったにないだろう。 既に蝉の声があちらこちらから響いてきている。それがなにより、夏の気候がここまで来ている証拠だった。 木陰にいてもその暑さは肌に玉の汗を生み、少しの風が凄く気持ち良く感じられる。強くは吹かないおかげで、乾燥した公園の砂地を巻き上げることもない。 また少し公園に目を移せば、いつものように元気よく四人の少年たちが、今日は転がるサッカーボールを追いかけて走り回る姿が見える。彼らはみな、既に半袖Tシャツに短パンの姿だ。もうよほど遊び、走ったのだろうか。Tシャツが汗で体に張り付いているようだ。 僕達も彼らも、この公園ではよく会い、また花梨が彼らの一人の怪我の治療をした最初の時の印象が良かったのか、今の子には珍しく人見知りもせず、たまにたまに僕達と声を交わすようになっていた。 今も僕の隣に腰掛ける彼女は、微笑み、そしてどこか羨ましげに彼らを眺めていた。 「あいつらも……暑い中よく走ってるね」 「それだけ、やっぱり楽しいんですよ。楽しいことって時間を忘れて夢中になれますし」 「そうだね。もうあんなに汗だくになるまで……また差し入れでも買ってきてやるか」 さすが貧乏学生でもそのくらいのお金はあるし。自販機もすぐそこだ。 そう、ホントいつの間にかだ。子供が苦手だった僕。そして面識のない彼らの心を開いたのは、やはり花梨であった。 「おっし。ちょっと待ってて。みんなの分、買ってくるからさ。花梨は何がいい?」 僕は聞く。返ってくる言葉はわかっていたけれど、これもいつもの通過儀式みたいなものだ。 「ぁ、私はいいです」 「そういわないの。みんな同じように汗かいてるんだからさ」 と、僕は笑いながら応える。 「じゃあお金を……」 「それもいいって。そんな高いものじゃないんだから。このぐらい、奢らせて」 「えっと……」 考え込むような仕草を見せるが、それも少しの間で次には彼女はいつものように微笑んだ。 「それじゃ、みんなと同じものをお願いします」 「よっし、了解。それじゃ行ってくるね」 彼女の自然な笑顔は人を惹きつける。子供達が主に彼女に心を許したのも、分かる気がした。 公園の入り口の横。出てほんの少しのところに、自販機はある。 僕は財布から千円札を一枚取り出して、自販機に突っ込んだ。 まぁ汗だくな子供たちにはスポーツドリンク系でいいとしておこう。花梨も同じものでいいと言っていたし、俺だけ違うものというのも気が引けるな・・・・・・ 商品を適当に流して見ると、あいにくとスポーツドリンク系はポカリしかなかったが……を6つ買った。以外と重量……というより面積か?両腕に抱えて持って、公園に戻った。 「お前ら〜、差し入れだぞ〜!!」 サッカー少年たちに声をかける。中で一番、体のでかいのがはじめに気がついたらしい。一番初めに走ってくる。んでもって、一番体のちっさいのが最後にサッカーボールを拾ってこっちに向かってきた。 「兄ちゃん、きょうもありがとな!」 「こら、哲、勝手にかっさらうな。直樹がまだきてないだろ」 一番体の大きい少年、哲は4人の中でもリーダー格だ。 「む、おい直〜、早く来い〜!!」 「今行くって、」 直と呼ばれた少年は一番背が小さい子だ。なぜかいつも片付けや後始末に追われている感じがする。 哲に呼ばれた彼は、軽い駆け足で駆け寄ってきた。 「いつもありがとう、お兄ちゃん、お姉ちゃん」 「まぁ、なんだかんだで公園通うようになって、知らない仲じゃないしね」 直樹が追いついたことを確認して、僕は彼ら4人に買ってきたポカリを配る。一人一缶、直樹はサッカーボールを地面に転がってしまわないように手ごろな石で固定して、それから受け取った。 「まったく、もうちょっと早く走ってこいよ」 「うん、今度はそうするね」 哲が少し怒った表情を作ってそういっても、直樹は笑って答える。 一見、ボスと部下・・・・・・もといパシリとも見えるが、彼らは彼らでなかなか役割分担ができていると知ったのも最近だ。哲は4人のまとめ役で、直樹は彼らの真ん中でクッションのような役割を果たしているようだ。 「ほいっと。ポカリでよかった?」 彼らに一通り配ってから、花梨に手渡す。 「はい。ありがとうございます」 くすり、と彼女は笑った。珍しく声を出して笑った。 「ん?なにかおかしかった?」 「いえ、ただ・・・・・・あの子達にもなじんだなぁって」 そういって花梨は、4人の少年のほうへと視線を移す。彼らは彼らで、哲なんかはポカリ缶をさっさと空けて、蹴っ飛ばして遊んでいるし、直樹は逆にゆっくりと微笑みながら口にポカリを運んでいた。 「そうかな?まぁ、最初よりは仲良くなったって自覚はあるけど・・・・・・哲なんかは僕のことをポカリ奢ってくれる補給員ぐらいにしか見てないぞ?きっと」 「あはは、そんなことはないですよ。哲くんは、すこし素直じゃないだけで」 なるほど、よく見ている。もちろん僕だって、本気で言ったわけじゃないけど。 「直樹なんかはすごく素直だな・・・・・・仲いいんだから、哲も少しぐらい直樹のこと見習えっての」 「それも個性・・・・・・ですね」 そういって花梨は笑った。 「ん?今日は早いんだな。もう帰るのか?」 ほんの一時間も経たないぐらい。哲、直樹ら4人は早々にボールを抱え、自転車の籠に入れていた。 僕の知る限り、普段から夕方まで遊んでいる彼らが、まだ早いこの時間に帰るとは思えなかった。 「あれ?兄ちゃんしらないのか?今日はこの公園、もうすぐ準備で使えなくなるんだぞ?」 哲が答える。 「準備?」 「はぃ。今日の昼から明日の夜に掛けて。お祭りが開かれるんですよ。夏祭りが」 「その準備でいろいろな人たちがテント張ったりするんだってよ。だから俺らは移動するんだっ!!」 直樹と哲はそういった。 なるほど、もうそんな季節なんだな、と思う。毎年開かれている夏祭りだが、僕は大して興味も無かった性か、その手の情報は遊び好きな子供たちには勝てない。 「夏祭り・・・・・・ですか?」 花梨が後ろからたずねてくる。 「毎年開かれている大きなお祭りで、確か・・・・・・この公園から、少し上の神社まで露天が並ぶんだよ」 そういって僕はなけなしの知識から引っ張り出した情報を伝える。 「すっごいお店の数なんだぜ?お小遣い、いくらもらっても足りないよっ!!」 そう、確かに大きな祭りだったように思う。祭中は、その区間は歩行者天国となり、たくさんの露天が並ぶ。多くの人々が行き交い、子供たちの笑い声が響く、一夜の祭。 「開催は明日の夕方から。だけれど、その準備に今日のお昼からもうたくさんの人が来るらしくて。僕たちが邪魔をしたら悪いから」 「そういうこと。またな、兄ちゃん」 そういって手を振り、彼らは公園から出て行った。 まぁ、まだ明るい時間だ。遊び足りないというのもわかる気がする。 「この公園が着飾る日・・・・・・かぁ」 ふいに桜を見上げる。晴れ渡った空に、その緑はとても映えている。いったい、祭りの光に照らされたこの桜は、どんな表情をみせてくれるのだろう。 「花梨はここのお祭りは来たことが無いの?」 先ほど、祭りのことをあまり知らなかったようだったのを思い出し、思わず彼女に聞いた。 「そうですね・・・・・・ここのお祭りは来たことが無くて」 すこし困ったように・・・・・・照れ笑いとはまた少し違った表情を見せた。 「大きな祭りなんだ。凄く綺麗だしさ」 そう、春にこの桜が凄くきれいなように。夏の夜を彩るもの。 「今年は・・・・・・じゃぁ一緒に回らないか?」 少し、勇気のいる事だった。簡単なお誘いだけれど、今までの約束とは違う、僕からの誘い。 断られても仕方ないと思って、でも一緒に回りたくて。 ここの祭りを知らない彼女を楽しませるために連れて行きたい。 ・・・・・・いや、そんなのは建前だ。 彼女といると楽しいから? それも違う・・・・・・と思う。 一緒にいたい、と思う気持ちがある。ただ楽しいからじゃなく、彼女と過ごす時間がほしいと思ったんだ。 自分勝手・・・・・・と人は言うかも知れないけれど。 すこし、どきどきしながら彼女の返答を待つ。 一秒が長く感じられる。 「そうですね・・・・・・私は・・・・・・あまり動くのはちょっと・・・・・・」 ズキ、と。少しだけ痛んだ。 「そう、それは残念だね」 笑顔のままに答える。それしか・・・・・・無いじゃないか。 「いえ、私は・・・・・・」 花梨が言いよどむ。 ・・・・・・どうしてだろうな、こんな顔をさせたかったわけじゃないのに。 無言の間・・・・・・少し重かった。しかし僕は彼女の次の言葉を待つ。途中で止まってしまった言葉。 風が流れる。静かに、緑の桜が鳴った。 花梨がゆっくりと、そして何かを決意したように一度頷いて、そして口を開いた。 「明日・・・・・・夜のお祭り、エスコートしてくれますか?」 いつもの笑顔で。明るい日の光さえ跳ね返るような、すごく綺麗な笑顔で。 彼女は、微笑んだ。 「・・・・・・え?」 驚いたのは僕のほうだ。断られる・・・・・・いや、断られたと思ったのに。一瞬呆然といてしまう。 言葉の意味を、自分の中で噛み砕いて飲み込めたのは、少し立ってからだった。 「大丈夫?」 「はぃ」 彼女の笑顔は変わらない。僕は、じんわりとその意味と、嬉しさをかみ締めた。 すこし、暖かい。 「明日、夕方ごろでいいですか?」 「そうだね・・・・・・お祭りは五時からだから、まぁ初めから参加じゃなくてもいいけど・・・・・・五時に、この桜の木の下でいいかな?」 そう僕が言うと、彼女は可愛らしくはい、と頷いた。 ・・・・・・幸先が良い。今年の夏は、いいことがありそうだ。 そう考えてしまっても仕方ないだろう? 年甲斐も無く、明日が楽しみになった。 それは、とても幸せな時間。 そして、一番大切な時間。 これから続いていくと思えた時間。 そして・・・・・・すべてが変わっていくことを、僕は知らなかったんだ。 |