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願い星

 小さな部屋がありました。
 真っ白な壁に包まれた、小さなベッドが一つあるだけの部屋です。
 ベッドの上には少女が一人、瞼を閉じて眠っています。小さな部屋は少女のための部屋でした。
 そこが部屋であること。
 自分が寝ているベッドがあること。
 少女に分かるのはそれだけでした。なぜなら少女は目が見えなかったのです。暗闇の中で分かる確かなもの。それが少女の世界のすべてでした。
 「君の本当の願いは、なんだい?」
 あるとき、優しげな声と共に、誰かが少女の部屋を訪れました。
 「やあ、こんにちは。君はどうして寝ているんだい?」
 その『誰か』は少女が知る人ではないようでした。しかし『誰か』の声は若い男の人のようだったので、少女は心の中で『誰か』を『彼』と名付けました。
 「私、病気なの。そのせいで目が見えないし、いつ死んでしまうか分からないんだって」
 少女は淡々と答えます。
 「それはとても可哀想だ。僕が何か、してあげられれば良いのだけれど」
 『彼』は少しの時間、考えるように「うーん……」と唸りました。そして少女に尋ねます。
 「そうだね……何か欲しい物はないかい?」
 少女は答えます。
 「なら、窓がほしいわ。春には暖かい風が入ってくる窓が」
 その少女の言葉に、『彼』は少し困ったように言います。
 「窓ならあるよ。君の隣、左手の届く場所に」
 『彼』は少女の左手を取り、窓へと導きました。少女が窓を開くと、暖かな風がふわりと少女の頬をくすぐりました。そのとき少女の世界に窓が増えました。
 「他には無いかい?」
 『彼』はもう一度、少女に尋ねます。
 「なら、机がほしいわ。夏には美味しいスイカが食べられるように」
 少女はまた、すぐに答えました。しかし『彼』はまたまた困ってしまったような声で言いました。
 「机はもうあるじゃないか。君の隣、右手の届く場所に」
 『彼』は少女の右手を取り、机へと導きました。少女が机を撫でると、きしり、と机は小さな音を立てました。そのとき少女の世界に机が増えました。
 「他には無いのかい?どんなものでもいいんだ」
 『彼』は言います。しかし少女は小さく首を横に振りました。
 「あなたは私の世界にとても欲しかったものを与えてくれたわ」
 『彼』は少女の言葉を聞いて、また少し考えます。そして言いました。
 「なら、して欲しいことは無いかい?」
 しかし少女は再び首を振ります。
 「今はないわ。だって世界が増えて、とっても満たされているから」
 少女は笑いました。それは今まで暗闇に閉じ込められていた少女の、初めて人に見せた笑顔でした。『彼』は一瞬の間、少女の笑顔に見惚れました。しかしその次にはどこか悲しそうな声で少女に言います。
 「僕は君の為に何かをしてあげたいんだ」
 少女はその言葉に少し考え、言いました。
 「じゃあ、それを後に取っておくのは駄目?してほしいことが見つかったら、あなたに頼むから」
 『彼』は少女の言葉に頷き、嬉しそうに笑いました。
 「なら、君がそれを見つけるまで、僕はここにくるよ」

 出会いの時から少しが過ぎ、外の季節は春になりました。
 部屋の外には色とりどりの花が咲いていましたが、少女にはそれが見えません。
 『彼』は少女に外の景色を来る日も来る日も話して聞かせました。
 少女は白い世界にある唯一の窓を開けて、『彼』の話を微笑みながら聞きました。たとえ景色が見えなくとも、『彼』の話はその景色を瞼の裏へ浮かび上がらせ、窓から入ってくる暖かな春風が花の香りを運んできて少女の景色を色付けたのです。退屈なことなど、一日もありませんでした。
 また少しの時が過ぎ、季節は夏になりました。
 部屋の外は緑で溢れ、沢山の蝉の鳴き声が響いていました。『彼』はおそらく大きなスイカを切り分け、それを白い世界に唯一の机の上に置いて少女と共に食べました。
 窓からは時折、涼しい風が抜け、草木の香りを運んできました。
 どこから聞こえてくるのか蝉の鳴き声に混じり、時折、ちりんちりん、といった音が聞こえます。それは風鈴の音だよ、と『彼』は教えてくれました。
 二人は今日もスイカを口に運びつつ、聞こえてくる音に耳を澄まします。退屈なことなど、やはり一日もありませんでした。
 さらに少しの時が過ぎました。季節は秋になりました。少女は体調を崩し、眠っていることが多くなりました。
 その日、少女が目を覚ましたのは夜のことでした。その時も『彼』は少女の側にいました。
 「夜とは暗い物なのでしょう?」
 少女が呟きます。それは私の見る世界と同じなのかしら、と。
 「ただ暗いだけではないよ」
 『彼』が言います。
 「そこには星という光の道しるべがあるんだ」
 道しるべ。少女は星という言葉は知っていましたが、どの様に星の光が道しるべになるのか分かりませんでした。
 「少し、昔話をしようか」
 少女が『彼』に聞くと、『彼』は少し考えたのちに、昔話を始めました。
 『彼』の澄んだ声によって、まるで歌うような流れる旋律に乗せて語られる昔話は、少女を物語へと引き込みます。
 それは星空の物語。とても美しく、そして悲しい物語。

 あるところに恋仲の男女がいました。時間があれば言葉を交え、共に夢を語り合う。周囲からも羨ましがられるような、そんな二人でした。
 しかし彼らは引き離されてしまいます。それは大きな戦争でした。彼は国の命令で兵士になりました。
 戦地に赴く前日に彼は彼女に必ず帰ってくる、と約束しました。彼女は彼に必ず帰りを待つと約束しました。翌日、彼は戦地へと向かったのです。
 激しい戦争は何ヶ月と続きました。次第に国は武器も食料もなくなって、ついに負けてしまいました。そして人材も物資も失った国は戦場の兵士に手を貸そうとはしませんでした。
 彼は生き残りました。しかしその見知らぬ土地に残されてしまいました。そこは戦いの犠牲となった仲間や敵兵の死体が野を埋めていました。
 彼は道さえないその野をただ彼女との約束を胸に歩きます。方向は分かりません。しかし、歩き続けました。昼も夜も。一日中歩き続けました。
 歩き始めて五日がたち、ついに彼は倒れました。もう足は動きません。体は動きません。そこは何もない野原。ふと空を見上げると広い夜空に星が瞬いていました。どうやらいつの間にか夜になっていたようです。
 その中に一つ、彼の目を引く星がありました。優しく赤く、しかし控えめに光る、星。しかし彼はその星に惹かれたのです。
 もう足は動きません。体は動きません。いえ、動かないはずでした。しかし不思議とその星を見ていると動き出すのです。
 彼は星を追いました。走ることはできません。しかし彼はあきらめませんでした。
 昼には体を休め、夜には星を追い、更に三日の夜が過ぎました。ついに彼は故郷の村へと帰ることができたのです。
 しかし彼を迎えたのは一番会いたかった彼女ではなくたくさんの同情の眼差しでした。
 彼女はどこに?彼は村人に訪ねます。
 彼女は病に冒され、死んでしまったよ。村人は答えます。最後まで君の身を案じていたよ。
 その言葉に彼は泣き崩れました。そして唐突に知ったのです。
 あぁ、あの赤くひかる優しき星こそ、彼女であったのだ。死んでなお私を見守り、導いてくれたのだ、と。
 それから彼は彼女に助けられた命を他の人々の為に使いました。戦争で傷付いた多くの人々を助け、また多くの町に出向いては復興を手伝いました。
 そんな彼をいつでも夜空から彼女の星は見守っていたそうです。

 「その後、彼は救われたの?」
 少女は『彼』に聞きました。その物語はどうにもそこで終わるもののようには聞こえなかったのです。
 「そうだね。まだ少しだけ続きがあるけど」
 『彼』は少女の瞼へと手のひらを当てました。
 「今日はもうお休み。体に響かないようにね」
 暖かな『彼』の体温が手のひら、額と瞼を通して少女を包み、眠りの中へと誘いました。



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