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その魔法の向こう側に。その1


 
 傷付くのは辛い。
 傷つけるのは簡単だ。
 腕を一振りすれば大抵の者は跪いた。
 言葉を紡げば抵抗する者はなかった。
 なんと傲慢なことだ。何でも手に入ると考えていた頃だ。
 今は遠い昔・・・・・・。


 ごーん……とどこか古めかしい音が部屋に響き満ちる。
「ふぅ……」
 私は今し方書き上げた本を机の上に放りだし、お気に入りの羽ペンをインク瓶に突っ込んだ。少し疲れた。
 まぁ時間なんていくらでもあるのだから焦る必要などない。
 今まで机の上で手元を照らしていたランプを人差し指に引っ掛けて、私はひょいと小柄な体を椅子から起こし、キッチンへと向かう。小休止にお気に入りのコーヒーを入れるためだ。
 そうして私は本の隙間をくぐり抜けていく。
 そこは本の迷宮。上を向けば遙か遠くに天井がある。そこには小さなシャンデリアこそあるが、その光は途中で拡散してしまってここまで届くことはない。光など本を腐らせるだけである、さほど必要もないと思っている。
 そしてその高さまで続く螺旋回廊。壁はすべからく本棚であり、無数の本が並んでいる。
 まぁ実際には、さらに本棚が宙に浮き、中央ですら完全な吹き抜けにはなっていないのだから、光が下まで届くはずもない。
 いったいどれだけの本の数なのか。
 私は回廊の中央まで出ると、右手を掲げ、身近な棚の適当な本の、その背表紙を撫でた。
「私を上まで運んで」
 一言、呟くように命じれば、まるで生きているかのように本は自ら棚から抜き出てきて、私の腰あたりの宙に静止する。
 ひょいとそれに腰掛ければ、本は自然に浮かび上がり、回廊の最上へと私を運んだ。
 回廊の最上には古ぼけた木製の扉が、本棚に埋もれるようにそこにあった。
 指を一振りすれば扉は軋みながらも開き、新たな部屋へと通路をつないだ。
 と、木扉がぎぎぎ……と異音を発すると唐突にバキィ、と縦に亀裂が生じた。
「……やばいわね、もう変え時かしら?」
 数瞬、扉と見つめあったが……ま、そのうちでいいだろう。今はコーヒーの方が欲しいのだ。
 扉の外は大きな洋風のホールになっている。悪趣味な金ぴか装飾があるわけではないが、この古き良き木目の見える屋敷は壮大に感じる者も多いだろうか。
 ひょい、と視線を上げて、私は独り言のように呟く。
「う〜ん、新しいネズミ取りが欲しいわね」
「ネズミ取りって何ですか、ネズミ取りって」
 ホールに上がったところで私に声を掛けてきたのは。
「最近、侵入してくるネズミが増えたからかしら。ネコが欲しいわ」
「久しぶりに上に上がってきての第一声がそれですか……」
 呆れたように、メイド服に身を包んだ少女がため息を付く。それにあわせるように、背から纏った白い翼が折り畳まれ、上から私の前に降り立った。
「あなたも鈍感なのかしら」
「鈍感、ですか?」
「だってネズミの侵入を許しちゃダメじゃない。ほらほら、そこのネズミも見てないで降りてきなさい」
 私はまた人差し指を上に向けて、今度は少し強めに下に振りおろす。
「ふぎゃっ」
 宙にあったなにもない空間が揺れ、それが床へとたたき落とされる。次の瞬間には潰れたような声を上げて、ネズミの姿がそこにあった。
「あなたはまた忍び込んできたんですか、レーヴェさん」
 翼人メイドがまたため息をつく。
「だから言ったでしょ?そろそろネズミ取り、ネズミ返しが必要かしら?」
「ネズミじゃないってのっ!!」
 怒ったような声を上げて、レーヴェは吠えた。真っ黒の外套に身を包んだ子供がそこにいた。吠えた口の隙間から尖った歯が覗く。
「その歯があるじゃない。ガリガリはどっか別の家でやってね。この家、ただでさえ古いんだから」
「ネズミの前歯と一緒にするなーっ!!これは牙だっ!!犬歯だっ!!」
 唸るように吠え掛かってくる。
「どうやら必要なのはネズミ返しじゃなく犬払いみたいだわ」
 やれやれ、とため息を付く。
「犬じゃないっ!!バンパイアだってもう何度も言ってるだろーっ!!」
「犬でもコウモリでも、もうどっちでもいいわよ。牙引っこ抜くわよ?」
 疲れてるのにうっとおしいわ、とも言わんばかりに、投げやりにぴっ、と指を振ると、レーヴェの口が大きくあけられる。なるほど、確かに鋭い牙ではある。
「あがっ、あがががーっ!!」
「うるさいわね。なにを言っているか分からないわ」
 まったくがきんちょである。バタバタと暴れる様をみているのもなかなかに面白かったが、いい加減飽きてきたので解放してやる。
「もぅっ、なにするんだよぅ、この性悪魔法使いめぇ」
 もはや半泣きである。多少いじめ過ぎたかと思わなくもないが。
「うちは別にオープンじゃないのよ。勝手に忍び込んで文句を言われる筋合いはないわ」
 全く。このやり取りも何度目か。きっとコイツに学習能力というものを期待してはいけないんだろう。
「あ、あはは……」
 やりとりを見ていたメイドはただ乾いた笑みを表情に張り付けているだけであった。


「ミレイユ、あなたもこんな羽虫の侵入を許してはだめよ」
 マスターは私が入れた、彼女のお気に入りのコーヒーに口をつけつつ、レーヴェさんを一瞥して、私に言いました。
「あーっ!!今度は羽虫って言ったぁっ!!あたしはバンパイアだって言ってるじゃないかーっ!!いい加減に……あがががーっ!!」
「あがががー、バンパイアの鳴き声ってなんとも面白いのね。新しい発見だわ」
 レーヴェさんは相変わらず、再びマスターの手によって口を開けられてしまいました。もう完全におもちゃになっているように見えます。
 当の本人は既に半泣きでバタついています。少しかわいそうですが、まぁレーヴェさんの場合は自業自得です。
「いひゃいぃ……ミレイユも見てるだけじゃなくて助けてよっ」
 レーヴェさんは自由になった途端、赤くなった頬を両手で抑え、端で笑って見ていた私に詰め寄ってきます。
「いえいえ、マスターに私がかなうわけ無いじゃないですか〜。そもそも最初から忍び込んで来なければいいのに」
「そうね、人の目に触れないドブネズミは長生きするものよ」
「うぅ、またネズミって言うし……」
 レーヴェさんはまたブツブツと何かをつぶやいていますが、流石に三度目はマスターに向かっていったりしませんでした。
「ミレイユ、あなたもネズミ退治ぐらい出来ないと駄目よ?」
「ネズミって……マスターみたいに、わたしじゃ霧状態のレーヴェさんは見つけられないんですよ〜」
 霧になる。それも最古から今に残るバンパイア血族の能力のようです。
「そもそもあたしの霧状態を一目で見つけてたたき落とせるセーラがおかしいのよっ」
 べー、と舌を出してレーヴェさんはマスターに言いました。
「あなた達が有名なだけあって、吸血鬼、バンパイア血族に関する魔導書は数百以上あるわ。それだけあって学習出来ない魔法使いこそ三流なのよ」
「それだけの魔導書を読み漁る事が出来るからセーラは化け物なのよっ!!」
 あ〜あ、と私が思ったときには、レーヴェさんは三度その口を塞がれていました。
「そうそう、バンパイアの記述で、その牙は特性上、最高の血液関係の魔法薬になるってのがあったのよ。ちょうど良いし、作ってみようかしら?」
「やめへーっ!!いはい、いはいっ!!」
「大丈夫よ、あなた達って長生きだし。牙の1本や2本、そのうち生えてくるわ」
「いやだぁぁー!!」
 目には見えませんが、牙に何らかの圧力がかかっているのでしょうか?レーヴェさんはやはり涙目……というより完全に泣いています。
「あの、マスター。流石にその辺にしておいてあげては?」
「そう?」
 マスターは指を畳んで魔法を解いたようでした。ばちんっ、と音がしてレーヴェさんはテーブルから転げ落ちました。マスターはというと何事も無かったかのようにまたコーヒーに口を付けます。
「うわぁん、ミレイユー、セーラがいぢめるぅぅ」
「ああ、もぅ。泣かないでください、レーヴェさん」
 その小柄な体が私にしがみついて来ました。私としては、まさに子供をあやしているような心境です。
 といっても彼女だってこの世界の住人で、バンパイア。ゆうに500年以上は生きていると思うのですが・・・・・・。
「だって、だってえぇ、ホントに牙が折られるかと思ったぁぁ」
 う〜ん、どう見ても年上には見えませんが。
 まぁ外見が内面とは全く無関係であることも知っています。
「う〜ん、やっぱりコーヒーはこの豆が一番ね。何年も変わらぬ味だわ」
 実際、マスターも外見的には成人前、十代のような若々しい少女の姿なのですから。背も私より低かったりします。
 実年齢など、この世界においては些細なことです。
「あはは、ならばまた仕入れてきますね。そろそろ豆も切れてしまいますから」
「お願いね、ミレイユ」
 マスターはそう言って薄く笑いました。
「ほらほら、レーヴェさんも私の服を掴んでないで、離してください」
 いまだにスカートの裾を掴んでいたレーヴェさんをなだめ、ようやく落ち着いてもらいました。掴まれていたところは、涙と握力でシワになってしまっています。どうやら洗濯の必要がありそうです。
「ミレイユー、あたしにもお茶菓子〜」
 機嫌をなおしたのか、ぴょこんとレーヴェさんはテーブルについて私に言います。
「ここはノラ犬にエサをやるような家ではないわ」
 と、しかし私が受け答えする前にマスターが一言で切り捨てました。
「今度はまた犬って……」
 レーヴェさんがまた半泣きになります。私としてもこれ以上泣かれたくはありません。でないと、今度こそメイド服に消えないしわが残ってしまいそうです。ということで、私は助け舟を出すことにしました。
「まあまあ。というより、レーヴェさんも何かしら用事があったのでは?」
「うん?別にそんなのは無いけど」
 この人は全く意味を察する事のできない人です。私は小さなため息を吐きました。
「だから侵入者だというのよ。家に来たければ用事か手土産、なにか面白そうな情報をもってきなさい」
 案の定、今日4度目の仕打ちを受けます。
「あがががーっ、そんな事いったってぇぇっ!?」
 またレーヴェさんは椅子から転げ落ちました。と、その時にポロッとレーヴェさんの黒の外套から何かが転げ落ちました。
「あれ、レーヴェさん、服から何か落ちましたよ?」
 私は屈んでそれを拾います。
 どうやらそれは何かの結晶のようでした。人差し指と親指とで摘める程度の、あまり大きいものではありません。何かから削られたものようで、表面は加工された曲線はなく、でこぼこでした。色は黒色。しかし覗き込めば透けるように反対側の景色が移ります。なんとも不思議な石でした。
「あぁ、それ?今日ここに来るときに拾ったの。なんか見たこと無い石だったし、綺麗だったから・・・・・・」
 転げ落ちて頭を打ったのか、頭上をさすりながらレーヴェさんは言います。
「ちょっと見せて?」
 マスターは私から石を受け取ると、明かりにかざしてみたり、覗き込んでみたりと色々と観察しているようでした。
「・・・・・・へぇ、これは暗命石ね。ちゃんと面白いものを持ってるじゃない。これはどこで手に入れたの?」
 珍しく興味深げにマスターは聞きます。
「扉の森だよ、あそこのあたりは未だに神様が付かないからね〜。いろいろと楽しいことが起きやすいし、良く遊びに行くの」
「ということは、また向こうから忘れられた何かが来たのかもしれないわね」
 忘れられた何か。それはこの世界には今まで無かったものを表す言葉です。
「マスター、知っている物ですか?」
 私が聞くとマスターはさも面白そうにその石を掲げて言います。
「この世界で読んだ本にそんな記述があったわ。特徴が一致している。おそらくどこかの世界で忘れられたものなんでしょうね」
 この世界、ここにある物はすべからく二つ以上の世界が存在することを知っています。だから世界に名前を付けました。今いるこの世界を『夢幻世界』と。 様々な世界の中心にあり、また様々な世界で忘れられたものがたどり着く世界。だからこの世界にあるものは元は他の世界のもので、その世界で忘れられたからこそ、この世界にあるのです。
 だからこそ、この世界のモノは二つ以上の世界があることを知っています。また、世界がいくつあるのかを知るものもいません。
「書物曰わく、黒き宝石の光透けたるは遥か古の時代より世界の始まりの光の檻たるものである、だったかしら。その世界では魔法媒体として広く用いられたとか。私も実物を目にしたのは初めてだわ」
「相変わらずスゴイ知識量だね〜」
 レーヴェさんが感嘆の声を漏らします。確かにそらで論じられるとは驚きです。
 マスターはどうにも興味を引くものを見つけると饒舌になります。
「最近、新しい研究材料も無くなってきて退屈だったのよ。暗命石……これを取りに行きましょうか」
「ま、マスター、唐突ですね……」
「せっかく面白そうなものが転がり込んで来たんだもの。即行動だわ。レーヴェは案内役ね」
 そういってマスターはまた薄く笑いました。
「え〜、あたしまだお茶菓子貰ってない〜。面白いもの持ってきたじゃない〜」
 ダン、ダン、とテーブルを叩いてレーヴェさんは不満顔で文句を言います。
「仕方ないわね……」
 マスターはひょいと右手をまるで指揮者のように振ります。途端にキッチンからお茶菓子が宙に浮きながら凄いスピードで迫ってくるのが見えました。
「ほへ?あがっ」
 と、不意にレーヴェさんの口が大きく開き、飛んできたお茶菓子はそのスピードのまま、吸い込まれるように口の中へ・・・・・・
「あばばばばーっ!?」
「さっさと食べなさい。確かに面白いものは持ってきたけど結果論、私は侵入者に掛けるようなマナーは持ってないわ」
 レーヴェさんはその大量のお茶菓子を口に押し込まれて、またイスごと後ろへ倒れてしまいました。今度は完全に目を回しています。
「うぎゅぅ……」
「じゃぁ、久々に出かけましょうか。ミレイユ、屋敷の戸締まりを」
 全くそんな姿には目もくれず、マスターは椅子より立ち上がります。
「あはは……」
 私は困ったように笑うことしか出来ませんでした。











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